哲学者はなぜ歩くのか
きょうのブログで哲学者のことを拝見しました。少し興味を引きましたのでこれから調べてみようと思います。 哲学者はよく歩いて思索した。どうして歩いてなのか。歩いた道ってどんな道なのか。哲学の道って聞いたことがありましたのでグーグルで検索したら312000件ありました。 日本全国に哲学の道があるのかと思っていましたが上位30件を見ると京都にあるようだ。京都観光スポット哲学の道(2000.11.27) 琵琶湖疎水の支流は蹴上から南禅寺を通 って北に流れ、高野川、鴨川の下をくぐって堀川に至ります。そのうち若王子橋(南禅寺側)から銀閣寺橋までの約2kmにわたる疎水べりの小道を「哲学の道」と呼びます。哲学者の西田幾多郎が田中飛鳥井町の自宅からこの道を歩きながら思想にふけるのを日課にしていたことから、「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったそうです。「日本の道百選」にも選ばれている散歩道です。春には桜、初夏には螢も見られます。撮影の日(2000.11.27)は十数年ぶりに哲学の道の端(南禅寺)から端(銀閣寺)まで歩きました。 所要時間約25分。 哲学者の道で同じく調べると398件、思っていたよりもかなり少ない。哲学者の道はドイツにあるようだ。哲学者の道カール・テオドール橋 (Karl-Theodor-Brücke)マルクト広場の先、ネッカー川にかかる石橋が、カール・テオドール橋(またはアルテブリュッケ)です。現在のこの橋は、その名の通り選帝候カール・テオドールにより、1786~88年にかけて造られたものです。前身は木製の橋でした。ここからのハイデルベルク城を見上げるのは、ハイデルベルク観光では必須でしょう。この石橋の町側の付け根に、お茶目な猿の像があります。地元の芸術家が、1977年に作成したもので、鏡を通行人に、おしりを川に向けています。猿の足下には実は小さなねずみがいるので、捜してみて下さい。 哲学者はどうも道を歩かず、道のないところを歩いたようだ。歩いた道があまりにも少ない。哲学の道ーWikipedia 哲学の道出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索 雪化粧した哲学の道 桜が満開の哲学の道哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区の遊歩道である。南禅寺付近から慈照寺(銀閣寺)まで、琵琶湖疎水の両岸に植えられた桜はみごとで、春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされ、「日本の道百選」にも選ばれている散歩道である。鉄が食ってなんだろうー哲学ってなんだろうーWikipedia定義哲学(てつがく、希:φιλοσοφια=愛知、羅:philosophia, ae、独:Philosophie、仏:philosophie 英:philosophy)は、前提や問題点の明確化、概念の厳密化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる、学問の一種。 また、そのような思考を通じて形成される立場も哲学と呼ばれる。(ソクラテスの哲学、など)歴史的には、19世紀までのヨーロッパにおいては神学以外のあらゆる学問に対して哲学という名称が与えられていた。(たとえばニュートンもガリレオも自然科学者ではなく自然哲学者であった)今日のような狭義の哲学という学問領域が成立したのは、19世紀中頃、哲学者ヴントの新しい学問分類によって学問の総称の地位が哲学から科学に移行してからである。 哲学って時代によって変わっているのかな。わからない。生き方の問題かと思っていたら学問なのか。学問でも時代によっては危険視されたのか。よくわからない。