被災と六感
人間に備わっている五感である、視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚に加え、第六感である超感覚的知覚ともいわれる直感のようなものが備わっていると言われている。数日前の新聞の『余録』欄に下記の内容が書かれていた。文化長編にある『人間は大災害をどう乗り越えたのか』にあるらしいのだが、縄文時代以前の遺跡には、洪水の後がほとんどないらしい。洪水に襲われたのは、稲作が始まり、水の得やすい土地に住み始めた弥生時代以降であるらしいが、しかし弥生時代も洪水の脅威に立ちすくんでいたわけではないそうである。遺跡から解るのは、洪水直前に家財道具ばかりか柱や上屋までも運び避難したらしいことである。洪水を見事逃れた弥生人の「予知力」「避難力」が現れている。我々の日々感じる「あったらいいな~」が瞬時に現実化されていくこの世の中、確かに人間の持つ力が劣っていっているのは実感出来る。洪水などにしても、天気予報に頼りっきりである。雲、海、また匂いから予想できたはずのものが、全くそうでなくなっている。勿論漁師さん達は未だにその感は備わっていると思うが・・・我々は、記憶力一つとっても、すぐに検索できる現在、記憶する必要性もなく、明らかに劣っていることであろう。それに代わる力が備わるなら、それもよしとすることが出来るが・・・ただ、衰えていくだけなら、やはりここで考え直したい。