パートナーとの会話
今日は、パートナーに重大な話をしました。本来なら、この手の話は直接話をするべきだとは思うものの、今日はメールで会話をしました。・・・と詳細を書くわけにもいかずどう書こうか迷っています。いま自分の現実として、起きていることとして・ものすごい上手くっている関係の人がいる:自分が引き出されるコミュニケーションのセンス・リズムを持っている人がいる・自分を止めるために作用する人:何かが悪いではなく誤解が生じやすい。疲れるから会話したくない人・つかず離れずでつき合っている人・ノーガードで殴り合いするように、激しく言い争いをするが言い合った後からものすごく見える人・長い時間をかけて、「またいでいる問題が顕在化」している人(そのほか多分何百もの関わりはあるとは思いますが・・)今回、多分、お互いの関係と、つくっている世界がうまくいっていないということに自分自身立場をとる必要があると感じている。恋愛のうたなら、さしずめ、「想いは届かない」というところだと思います。私自身、この分野つまり「コーチング」と言われる分野に関わってきてひとつだけ見えていることがあるとするならば「うまくいってなければやめる」という選択が大事だと思っている。「結果が出なくてもやる」という決意は物事には大事だが結果が出ていなかったとしたら、一度やめてみる、ということの方が大事だと思います。結果がでない状況をつくっているということは明らかに自分の誠実さを失うし、自分のバイタリティーが蝕まれる。そして、他人との関係で「言ってはならぬ」爆弾を抱える。また、他者との関係で自分に誇りが持てない状況で関わるから「相手のことを非難する」ことを行いがちになるのである。趣味ならある意味「結果が出ようが出まいがやり続ける」というのでもいいかもしれませんが、私が講座をリードするときは「結果が出ない」状況がでたら、結果がでるようにするか、あるいは、全くやめてしまう、という決断が必要だと思います。どんな分野でもやめられない、という状況は不健全だと思う。そんなこんなで、何一つ具体的なことを書いていないが、書きながら、今回「やめます」と言った事以外に、あんなこと、こんなこと過去にあったなーと思い出している。もっとうまくやれたのに、と思うことがある。しかし、思うのですが、「そのときは最善だと信じてやっている」と思うのです。思い出した・・・ある時に、とあるコーチが、これから新しいことをしようとしている参加者が「後悔はしたくはないのです」と言ったときに、インタラクションで「後悔はあらかじめできないよ」って言ったときに、なんか、「後悔してもいいや」って自分の中に許可がでた。言っていた当の本人である参加者はどう思っていたかはしりませんが、「あ、後悔もいいや」って思えた。もちろん、「後悔しないために、100%やる」ってことは大事だと思いますが、やっているときは見えないことってありますよね。うまくいかなかった自分も自分だということには、変わりない。今回やめるを選択したのは、結局、この分野をしている自分と自分のパートナーがつくっている空間そのものに誠実さがないとかんじたからである。うまくいっていないときほど、誠実さや「失敗している」ことに対する正直さが必要だと思う。うまくいっていないときほど、その人という人間性が問われると思います。パートナーとは、仲よしだという関係な人のことではなくて、少々耳の痛い話を愛情をもって話せる人だと思う。