退場した奴らに語る資格はない
ほぼ休眠状態の「ブログ」です。一般市民の表現系も、次々にマジョリティが移り変わっていくあたりに、逆にうさんくささを感じます。(ほんの数年前まで渋谷系イケメン社長などとmixiがもてはやされていたことを、あっさりと忘れるほど、私は記憶が悪くないんだな。フェイスブックは何が良いんだか全く分からんし。単にババアなのでしょうかね)しかし、マスメディアが人々(世の中を構成するマジョリティが「受動的」な人々、という感触はあるんですが)の支持を失ってしまったことは確かであり、世論を形成するにはその種の人たちへの影響力を失っては「マス」の呼称に値しないのは間違いない訳で、まあ、何を言っても負け犬の遠吠えですかね。そのことに「見切りをつけて」、とっとと脱却を図った元・同僚たちもいるわけです。私だって、私的な財政的な課題がなければそうしたかもね。でも、そうして多数派工作から敵前逃亡した(と言ったら聞こえは悪いけど、理解しようともしない大多数が圧倒的なマジョリティになった時代には、この種の「啓蒙」に血道を上げる私みたいな輩こそ、絶滅危惧種だろうよ)人たちとその同類たちに、何事かを論評する資格はない、と思います。何を問題提起しても、たぶん、まったく効力を持たないまま、我々は破滅していく。それでも、あきらめないでいたい。それが、私たちの仕事だと思う。そういうあきらめの悪さを、私は忘れないでいくぞ、と思っています。けけ。