「色」の意味を考える
2ヶ月ぶりに駒澤大学の地理学サロンを聴講。講師は東京都立大学名誉教授の堀信行先生で、テーマは「揺らぐ伝統と変わらぬもの~赤・白・黒を考える~」。非常に考えさせられた、目から鱗の講演だった。前提として、我々が見る「風景」は必ずしも自然景観そのものではなく、「風景のdomestication」を経て、人間の意思が投影された風景を見ているという堀先生の説明があった。色も同様で、すべての色に人間は何らかの意味を見出しており、人間の深層に働きかけさまざまな感情を誘発することはもちろん、色そのものが「呪力」を持つというのが堀先生の考えだ。中でも赤・白・黒に注目した。例えばなぜ紅白はおめでたいのか、なぜ喪服は黒なのか、といった具合だ。黒はもともと高貴な色とされ、かつて葬儀は白装束だった(白は死の意味があるとされる)のだが、明治30年の皇太后崩御の際に喪服が黒と定められたのだという。これは欧米に合わせるためだったといわれ(当時の日本は国際社会に認められるべく西欧化を進めていた)、さらに黒喪服が庶民にまで定着したのは実に第2次大戦後というから驚きだ。そういえば連ドラ「あさが来た」で葬儀のシーンが白装束であったことに違和感を覚えたのだが、時代背景的にはそれで正しかったというわけだ。ウェディングドレスの白も19世紀にヴィクトリア女王が初めて着用して、それが世界的な流行に繋がったと言う話で、「白は純潔だから」というのは後付けされた定説ということだ。ちなみに日本の白無垢は基本的に死に装束であり、これまで育った家との別れを意味しており、いわゆる「お色直し」は新たな命として染め直すことが根底にある(つまりお色直しを何度もするのは間違っている)。赤は血の色といこともあり生命の根源という存在。聖なる色でありタブーを感じさせる色でもある。また、古語辞典では「むき出し」という意味もあり、「赤裸々」という言葉はそれを反映したもの。つまりネガティブなイメージもあるこということ。それを払しょくするために「赤白」でなく「紅白」としたのだとか。紅白は「生命」の赤と「死の色」である白が繰り返すことで縁起が良いという風に考えるようになったという。こうして普段何気なく使っている色に我々が意味づけをしていること、そして当たり前と考えている色使いの意味が実は最近決められたものであることなど、驚きの多い話だった。色を見る目が変わりそうな話である。