【災害記録帳】本土上陸の台風として観測史上最低気圧を記録した1934年室戸台風
80年前の今日にあたる昭和9年(1934年)9月21日、高知県の室戸岬付近に上陸した室戸台風は上陸時の中心気圧が911.6hPaと観測史上最低を記録(正式統計以前の参考記録ながら現在も破られていない)、勢力を保ったまま北東へ進み大阪付近に再上陸し、日本列島を縦断した。大阪では最大瞬間風速60m/sを記録した他高潮に襲われるなど近畿地方を中心に大きな被害をもたらした。死者2,702人、行方不明者334人、住宅損壊92,740戸、浸水家屋401,157戸(いずれも理科年表より)。後の1945年枕崎台風、1959年伊勢湾台風とともに昭和の三大台風とされる。高潮による甚大な被害室戸台風で最も被害が大きかったのは大阪府で、死者・行方不明者は1,888人を数え全国の6割を占める。被害をもたらした一つの要因は高潮だ。午前8時頃には大阪港で4mを越える高潮となり、多くの桟橋が流失した。わずか10分間で潮位が2m上昇したとされ、高潮は防潮堤を越え、海水は流木などの漂流物とともに市街地に流れ込んだ。高潮による犠牲者は1,000人を越えた。また、西淀川区の湾岸にあったハンセン氏病外島保養院が倒壊・流失、入院患者597人中関係者も含めて187人が犠牲になった。その浸水深は3m仁達したとされる。保養院は湾に面しており、堤防がなければ平時でも満潮時には浸水する低地に立地していた。大阪湾岸地域は工場の集中的立地による地下水汲み上げを原因とする地盤沈下が問題になっていたことも特筆される。<室戸台風で築港大桟橋南横手に打ち上げられた瑞穂丸(大阪市HPより)><室戸台風の高潮浸水範囲(防災科学技術研究所HPより)><室戸台風の高潮浸水地域、地盤高および浸水深(室戸台風大阪での暴風・高潮の被害,長尾武,京都歴史災害研究,2010)>暴風による木造校舎の倒壊瞬間最大風速60m/sという暴風による被害も大きかった。台風の大阪再上陸が午前8時頃と学校の始業時間と重なったことが悲劇を呼んだ。当時主流だった木造校舎の多くが暴風により倒壊したのだ。大阪市内で全半壊・大破した校舎は小学校244校と実業補習学校2校のうち180校仁及び、児童や職員、迎えに来た保護者に多数の犠牲者を出した。京都でも多くの学校で大阪同様の犠牲が出た。また京都の淳和校(現:西院小学校)や大阪の鯰江第二小学校では教員が身を投げ出して生徒を助けて殉職した例もあった。さらに京都では上賀茂神社・下賀茂神社の国宝建築物や伏見稲荷大社の大鳥居など21棟が倒壊した他、知恩院・西本願寺・建仁寺方丈・醍醐三宝院純浄庵など多くの寺社で全半壊の被害が出た。木造校舎倒壊の要因としては、建物の柱に筋交いが施されていないなどの構造上の問題や、そもそも風対策が軽視されていたことなどが挙げらている。れる。<五重塔が全壊した大阪・四天王寺(wikipediaより)>瀬田川鉄橋急行列車脱線転覆事故室戸台風は鉄道事故ももたらしている。東海道本線の草津駅~石山駅間(現在では瀬田駅 - 石山駅間)にある瀬田川橋梁で、徐行運転していた下り急行列車が強風により脱線、11両中9両の客車が転覆し、11名が死亡、202名が負傷する事故があった。橋梁上での強風による客車の脱線は1986年余部鉄橋列車転落事故と同様だが、この瀬田川橋梁事故では脱線車両が複線の上り線側の線路に倒れて寄りかかったため橋梁からの転落という最悪の事態は免れている。ただし暴風警報(気象告知板)が通過各駅に掲示されていた点や、草津駅で臨時停車して受けた警告を考慮せず列車を運行していことで過失として乗務員が起訴されている。またこの事故を機に風速計の設置や、防風設備の研究が進められたことは特筆できる。この事故の直前に東海道本線摂津富田駅付近で列車が脱線転覆し25名が死傷、野洲駅~守山駅間の野洲川橋梁で貨物列車が転落、水没しており、国鉄の強風への対策不足が露呈した結果でもあった。さらに同日午前には、大阪電気軌道奈良線(現近鉄奈良線)も大阪府布施町(現東大阪市)で電車が脱線転覆している。<瀬田川鉄橋急行列車脱線転覆事故(滋賀県HPより)>防災への取組の本格化この災害は国内で防災意識が高まるひとつのきっかけにもなった。日本学術振興会の内部組織として1937年に「災害科学研究所」が設立された。同研究所は、室戸台風の被害状況を教訓に、学校などの公共建築物の耐風基準の引き上げ、審査制度の設置、臨海部や工業地帯に自然災害に強い地盤を作るための規制などについて提言した。気象台では、それまで台風時の風速10m/s以上の風について一律暴風警報としていたが、室戸台風を機に暴風発生のおそれがある場合は「気象警報」、重大な災害が発生するおそれがある場合は「暴風警報」をそれぞれ別個に発表するよう変更した。いわば警報の階層化のさきがけともいえる。戦前の日本においてこうした防災対策が進められるきっかけになったのがまぎれもなく室戸台風だった。