『ほめ言葉大事典』より、其之参
室生犀星は腰に一本刀を落し差しにして、文学の世界の広い原っぱに一人、風に向って立っていた。【ほめられた:室生犀星 ほめた:森 茉莉】~~~~~~~~『ほめ言葉大事典』著者の清水義範氏は言う。ほめられれば、人は成長し、子供はよい子になり、奥さんは優しくなる。わかっているのだが、でも人をほめるのは難しいのだ。人をほめるというのは、プラスのエネルギーがいることである。ほめるよりけなすほうが絶対に楽だ。ほめるには実際の行動がともなう。しかも我慢や無理を強いられるというわけだ。でも、人が成長し、子供がよい子になり、奥さんが優しくなるならおおいにほめようではあるまいか(^o^)~~~~~~~~清水義範氏の感想はこうだ。『すごい言い方である。めちゃくちゃ格好いいではないか。森鷗外の娘の茉莉が、室生犀星を孤独な侠客のようにほめた。』「侠客」は傑作だ。その解説がある。「一本刀はやくざ者の特徴なのだ。」そう、室生犀星は武士ではないのだ!つまり森茉莉は犀星を、鍬(くわ)や鋤(すき)を手にする農民にたとえることなく、二本差しの武士にたとえることもなく、まして妙相なる聖にたとえることもしなかった。そして、いわば落としどころとして、斜にかまえるやくざ者にたとえたわけだ。だとすると、これってほめ言葉?文藝の香りと格調が漂うひと言ではあるのだが・・どうも森茉莉さんのオホホ顔が目に浮かぶなぁ。ときに清水氏の作家論はこうだ。『悲しみの中の力強さのようなものがあった。』コチラ、清水義範氏のニヒルな笑いが浮かびます。どうやら「ほめ言葉」は、額面どおりでなくそこに垣間見える上質なる皮肉も見なければならない、そういうことなのだ。