22年ぶりの会話と再会
今年を締めくくるのにふさわしいのかどうかわからないが、今日22年ぶりに父親と電話で会話をした。 もちろん、今まで居場所もわからず市役所や区役所の戸籍係を辿って、ようやく見つけた。でも、だいだいこの辺りに居るということは聞いていた。だからと言って会おうという気は今まで全くなかったが、父親と別れた年齢と自分の年齢が重なって、いろいろ考えることがあり探してようやく連絡がついた。 父は家族を持っていた。このことはかなり前から自分は知っていた。だから邪魔したくなかったという気持ちもあった。しかし父は寝たきりの要介護5の状態で、人工透析を週に3回している状態だった。電話口の向こうでは、父の相手の奥様がどうも機嫌が悪い様子だったので、早く電話を切ろうと思ったが、父は僕の身体のことや、いろいろなことを聞いてきた。22年間の空白は、意外な電話一本で繋がった。 今年の初めは22年ぶりに高校の恩師と電話で連絡が繋がった。しかし恩師も体調が良くない様子だった。3月には初出場となる春の選抜高校野球の甲子園で、たくさんの恩師と出会った。 今年は、いろんな人との出会いもあり、トラブルもあったが心許せる仲間とも出会った。人との繋がりがとても多い年だったと思う。 年の瀬に父と話ができたことは、僕にとってはかけがえのない出来事だったと思う。会うことはできないが、そこに居るということ、そして生きていてくれていたということだけでも感謝しなければと思った。 毎年、ニュースで新幹線の駅や空港で帰省ラッシュの映像を見ると辛い思いをしていたが、きっと父も辛かったと思う。そして同じように母も辛かったと思う。 最後に父の言葉が印象的だった。お前の選んだ人生なんだから、好きなように生きていきなさい、と。 自分ではどうしようもなく不可抗力にしか思えなかった人生が、そうではなく自分が切り開いていった道で、これからも自分次第で道が開けていくことを、父から教えてもらったような気がする。