未熟の自覚
私の著書の中に「あの日のままの私で歩こう」という、本のタイトルと同じ名前の詩があるのですが、この詩で言っている「あの日のままの私」とは、未熟な私、臆病な私のことです。見たくない自分というのは、たくさんあります。無意識にすぐ反応して、見ないようにしてしまいます。そんな自分がいることを認めないし、自分を責めたりもします。しかし、それを見ないようにしている限り、その自分に抵抗している限り、それはいなくならないのです。逆に、そんな自分を受け入れてみる。そんな自分が、自分にいてもいいのだよと、居場所を許してあげる。そうすると、不思議な感覚になります。だまされた思って、やってみてください。それが、「あの日のままの私で歩こう」ということばの意味です。ということを踏まえて読んでみましょう。*************** あの日のままの私で歩こうあなたの未熟さを心で責めながら自分の未熟さを責めていたそして隠れていたあなたの大胆さに心でおののきながら自分の臆病さを責めていたそして隠れていたもう 隠れるのはやめてお日さまに当たることにした未熟さも 臆病さも一緒に出かけよう私は今も 幼いあの日のままその私を隠さずともに連れて行こうともに連れて歩こうあの日のままの私で歩こうもう 大人ぶらないで未熟なまま 臆病なまま***************いかがだったでしょうか?という、本の宣伝でした(笑)。「あの日のままの私で歩こう」水野なす 著(文芸社)は、アマゾン、楽天ブックスなどでも買えますよ~!