詩人 水野なす
「詩人 水野なす を生きる」という、シンプルなことにたどりつきました。これはなかなか、いい思いつきです。唄も唄うし、物語も書くし、エッセイも書くし、占いもやるし。ていう、いろいろやる人ってのが、個性と思っていたわけだけれども、そうでもないみたい。「詩人水野なす」という存在を自分の中心に置いてみると、なんだかしっくりいくんです。詩人として、唄を唄う詩人として、物語を書く詩人として、エッセイを書く詩人として、料理をする詩人として、歩く詩人として、息をするこれはとっても、居やすい感じ。何をしていても、「あえてこうしている」という気がする。もともときちんとした人ではないわけだ。ずっと隠していたけどさ。(たぶんバレバレだろうけどさ・・・)ナイーブな自分とかも、そりゃ詩人なんだから、ナイーブじゃないとねってなる。社会人として考えるとまったく長所じゃないもんね。結局、それ用には作られてないってわけだ。不思議だな。