ギャルゲーの主人公って…。
これはラブコメの主人公でも同じことを言えるが、これに惹かれるかなり年を召した大きいお友達は気付いているのだろうか?気付いているのかも知れないね。現実ではモテないからここでその世界に耽ることにしようとか、そんな割り切った感情を抱いているかも。そうした二次元に数多溢れるヒロインを選り好みするのもいいのだろうが、そのためかそうした主人公はグダグダの割り切れない半端者のようなヘタレ情無い性格となっていることが多い。これってモテる要素足りうるの?却って嫌われるんじゃないか?こうした優柔不断な性格は個性の一つとして扱われるが(無論ギャルゲーには主人公の性格は反映されないので、個性は無いことになっている)、現実的にはヘタレの烙印を捺されてしまい、遂にゃそっぽ向かれてお了いだ。一方通行しかないアニメになると、今迄扱われなかった男の主人公の性格が露見されて面白い。これは漫画のラブコメも同じことが言える。零(ゼロ)の個性である主人公は決して嫌われることはない。これがまた不思議なんだ。嫌われているようなフラグ立ちしても何かしら理由つけてヨリを戻している。変なんだよな。他に男がいないのか!他の男にメインヒロイン取られたとか、嫌われて失意の底に落ちるとか、そういうのないの?あることはあるんだが。嫌われていくという真逆のパターンもないのだろうか?全部男に都合のよい設定だもんなあ。そしてこれも気になることだが、ギャルゲーの主人公こそ、現実ではモテない(異性から全く話しかけられない、又は汚物に触れるかの如く嫌悪憎悪の対象とされている)プレイヤーが最も毛嫌いするキャラクターなんじゃないのか?現実でこんな選り好み出来るような身分の奴がいたらどう思うだろう。お前にそんなギャルゲー主人公が近寄って「友人」の面して来たら受け入れられるのか?ギャルゲー主人公はモテない奴に態々恋愛相談することもないだろうが。ギャルゲー主人公の隣にいる「友人」は手の早い軟派者である。しかも女垂らしが多い。これこそ、奥手のお前が毛嫌いする取り巻きじゃないか!没個性の主人公に感情移入出来るような設定なのだろうが、ギャルゲーの需要が未だ止まないのはそれの購買層が余りにも鈍感過ぎるのではないのか!現実に対する護身も良いが、護身を自認するのならもっと硬派に生きてみたらどうだろうか。わたし自身はどうもラブコメやスポーツもそうなのだが、ギャルゲーを受け付けない。照れ隠しもそうなのだが、結局疲いのだ。ゲームにおける日常の反復が詰まらんのもそうだが、プログラムの履行という形が好きではない。現実は何が起こるか分からないから楽しいのだ。世の中は想定外だらけ。物語を作るのなら、ヘタレな主人公よりも男を感じさせるものや、外道そのものな奴とかを選定させたらどうか。どうせそんな需要なんてないが。『NHKにようこそ!』というメディアミックスされた作品がある。これは引き籠り青年が社会復帰していくという話なのだが、これもまた、元々青年(主人公の佐藤達広)がモテる要素を備えて居るんだわ。それを敢えて避けているんだから実に勿体ない!天使が引き擦り出しているような感じだが、果たしてこんな展開で良かったのかと思えてしまった。これでは誰も苦労しないし悩みもしないし煩悶することもない。これじゃあ処女食いと同じじゃないかと思ってしまった。社会復帰のプログラム(カウンセリング)もまた、商売ありきである。そこまで社会システムは雁字搦めであるよう。性の悩みも商売が解決してしまう。基本的にね。まあ、現代社会は格差をつけてナンボだから、商売で解決してしまったら「金で解決しやがって」という後ろ指さされた儘罵られるんだろうけどね。『NHKにようこそ!』の批判になってしまったように聞こえるが、あの作品は結構好きなのだ。負のスパイラルに堕ちて行くという展開と、皆の希望に沿えずに絶望にうちひしがれるのと、それでもなおパンドラが開けた匣(壺という伝承もある)の底に光る希望に縋ろうとする主人公が好きである。勿論光とは、ヒロインの中原岬である。この作品の登場人物悉くダメダメな所も良い。…しかし、長く書き込んで来たが、他にも言いたいことがある。ほぼ独断と偏見による意見だが、了承されたし。そもそも…ギャルゲーのヒロインって『お母さん』そのものなんだよなあ。そして主人公は取り込まれていつまでも成長しないというスタイルを取り続ける。今の萌え路線たるヒロイン達も…やっぱりお母さん属性が強いよなあ…。