身体性と国籍
どうでもいいことだけど、山野車輪の「在日の地図」を読んで国籍とか帰化を考えたが、日本人はもともとそうした国籍がらみのことを考えてたりするのだろうか?
よく我々日本人は政治的権利を行使するには先ず帰化しろと言う。
それはそうなのだが、第三国の人間は日本で暮らすそうとすれば、国籍取ることに吝かではないようだが、我が国の人間は日本国籍を離脱して他国に帰順することを躊躇う。いや絶対にそんなことはしない。
中には、一部の家庭では臨月を迎えた時に渡米して子供に米国籍を取らせることがある。
これは根底に流るる差別思想があるからなのだろう。
それは、アメリカという国籍が高貴なもので、日本及び第三国の国籍が底辺にあり、そして地上の汚濁に塗れているから天上に昇ろうとする感覚なのだろう。
産む奴の方が米国籍を取るつもりなんかないくせに。
しかし、それでは、アメリカ人が我が国の国籍を取るかどうか、まずそんなことはないし、万が一というケースもない。
日本人の奥さんがいるというアメリカ人がいる有名人がいるが、彼等は押し並べてアメリカ人のままである。
子供には英語(アメリカ語)を習わせ、日本の学校にはまず通わせない。
中国人とは似てるようでいてまったく逆である。
やはり、日本はそうした意味を込めて、劣ると思われているのだろうか?