桂陽山城博物館
仁川の鎮山である桂陽山(海抜394.9m)の主峰ではなく、東に230m下った地点の桂山洞山10番地の小さな峰に位置する桂陽山城は、三国時代に築造された石城で、築造様式はテメ式(山の頂上を取り囲むような城)、城壁は内托式であった。古山城とも呼ばれるこの城は、築造から1500年以上が経過した現在では城壁は全て崩れており、築城形態は残っているが、新増東国与地勝覧の記録によると、石築1,937尺が退落したと記されており、実測の結果、山城の全長は1,180m(桂陽山城地表調査報告書)、城郭の外部は整えられた石が5mの高さに積まれていた。東北に漢江流域の金浦平野が、南西には黄海の関門である仁川港が位置し、首都ソウルにつながる交通の要所であるこの地は、古くから軍事的、経済的にも重要な水路交通の要所でもあった。基本的な地理環境が外敵防衛と北風を防ぐことのできる背山臨水の条件を満たしており、軍事上重要な役割を果たす山城である一方、飛び出た稜線の中間部分を中心に築造され、城内が四方に露わになっているという独特の城でもある。現在、山城の復元に向けた発掘調査が行われており、現在までの調査の結果、歴史的に非常に価値が高いことが分かっている。(桂陽区HPより)旧約聖書に出てくるヨルダンのエリコ城高句麗、百済、新羅の三国時代から、ここに山城があったことを裏付ける遺物が発見され、発掘調査が行われています。これから山城を復旧していくのだそうです。楽しみ。百済系の城郭の作り方は、特に九州、関西地方まで見られるそうです。#城郭 #山城