タイムトラベル
「俺の軍服は,どこへやったんだ?」今朝の父の第一声である。この言葉からすると,今朝の父は,昭和20年ころの記憶の中をさまよっているらしい。「軍服なんて見たことないよ。」それとなく否定してみるが,全く納得していない様子で,「昨日帰って来ただろう。そのとき着てたやつだ。」と続ける。父は要介護5,ほとんど寝たきりなのだ。「帰って来たって,どこから?」と尋ねると「俺が部隊から戻ったのは昨日だろう?」と言う。「戦争が終わってもう60年以上過ぎてるんだよ。」と,やんわり否定してみるが,やはり全く理解できない様子で,不満そうな顔でしきりに首を捻っている。数日前,父は,昭和50年ころの記憶の中にいた。やはり朝の第一声が「俺の車はどこに停めたかな。」だった。不審に思いながらも,ありのままに「車はもう10年以上も前に処分したじゃない。」と答えると,如何にも困った様子で言った。「仕事に行かなきゃならんのに,どうするんだ。」父が仕事を辞めてから既に13年の月日が流れている。広い意味での認知症の症状である。少なくとも3年くらい前からこういう状況は始まっていた。父の行動がおかしいと思い始めたある日,目の前にいる私に向かって,突然父が尋ねた。「菜摘はまだ学校から帰らんのか?」どきりとしながらも,質問の意味を図りかねて聞いた。「目の前にいる私は誰なの?」答えは象徴的かつ衝撃的だった。「お前は妹だろうが。」話を続ける中で,そのときの父にとっての私は,小学生くらいの少女の姿であるらしいと思い至る。父はそういった時間の記憶の中にいるのだった。最初のうちは,こちらも状況を飲み込めず,しっかりしてよ,とばかりにむきになって訂正し,言い合ったりしたが,それは父を苛立たせるだけであると気づいた。強く否定するのではなく,ある程度受け止めながら噛み合わない会話を続けるうち,自分でも混乱するのであろう,やがて父は黙り込んでしまう。そして,そのまま時間がすぎると,そのような会話など,すっかり忘れてしまうのだということをこちらが学んだ。父の意識は,自由に時間を飛び越えて,遠い過去を一瞬にして引き寄せる。歳を重ね,そう,父はタイムトラベラーになったのだ。さて,明日の父は,どの時代に目覚めるのだろうか。