マクドナルドの、MR.ジョン・アサハラ
このメモの写真は、私に対して、ジョン・アサハラと言う日系二世の米国人が、贈ってくれたものです。私はこの人物と会ったこともなければ、声を聞いたこともたとえチラッとでも見たこともありません。実は先月、私の親しいお仲間から、「連休に岡山で、3泊宿泊したいのだが、政治力を使って岡山県選出の国会議員事務所から問い合わせても、たったひと部屋が用意できないで困っている。白神くん、何とかならないだろうか?」と懇願されました。素性を伺うと、このジョン・アサハラを名乗る方は、1970年代に、あのマクドナルドを日本に引っ張ってきた、当時の藤田商事の藤田田日本マクドナルド社長の元に、米国のマクドナルド本部から全権で派遣された大物だったとか。現在のマクドナルドについては皆様もよくご存知でしょうが、当時は銀座三越に第一号店を出す出さないの頃で、現在全国に3,000店以上あることなど夢の時代のことです。で、この大物が、藤田田社長と大車輪の働きで、拡大を繰り返しその後、発展した日本マクドナルドを見届けて、アメリカに帰国されたそうです。現在80歳を超えた彼が、ナゼ岡山に来たかといえば、二世の彼の親は、岡山県高梁市の出身であり、先祖がそこに祀られているからという理由で、高齢を押してご夫婦で墓参に立ち寄られたわけです。私と申せば、平素「無」の境地で仕事を通じて奉仕をする毎日です。私の会社の技術が生かされている契約ホテルの支配人様に事情を相談したら、快く「久志のためなら何とかしてやる!」と快諾いただき、それから一週間、到着6時間前に、ジョン・アサハラが希望していたsuite room3泊が無事準備できました。私は、遠くから親の故郷に墓参に来られる、見も知らぬ人物に非常に敬意を表し、到着時にその人物にホテルスタッフから花束を渡してもらうため、わが社のオフィスの並びにあるnaraと言う花屋から花を届けておいてもらいました。滞在中、その人物がどういう時間を過ごしたのかは私の関知するところではありませんが、私に最初に宿泊の便宜を図るよう依頼下さったお仲間を通じてこの感謝のメッセージが、私の手元に届いたわけです。親が岡山出身で、わけあって渡米され、その異国に暮らす二世の方との、花とメッセージを介した心の交流。私は、わが社の事業を通じて、社員とともに、こうした心温かき人の輪を作りたいと、切に願うものです。高齢と伺っておりますが、これを機に、また岡山に足を運んでいただきたいものです。