コントロール癖
しばらく調子のいい時が続くと、陥りがちな罠がある。その1:「この調子の良さをキープしたい!」と、調子の良さに執着その2:「今ならこんなこともできちゃうかも♪」と身の丈に合わないことをやろうとするあるあるー。わーわー。ほんっと、どこまで行ってもコントロールしたがる俺の頭よ!どうしても何かを「目指す」のが好きなのなー。どっちも、ほんのほんの無意識の些細な動きなんだけどそのほんのちょっとした執着、ほんのちょっとした無理、が産むちょっとしたズレ・・・放っておくとどんどんズレていっていつの間にか自分の心地いい範囲を大幅オーバー!危険危険ピーピー!ということになりがちです。あ、なんか緊張してきちゃった・・・ダメスパイラルの予感・・・とか思った時私は原点に戻るため、敢えて少し前までの習慣「過食したっていいんだよ?」を持ち出すと、安心します。前は過食で自分を安心させてたんだよね。今はもう、どれだけ「いいんだよ」と自分に言ってもぜんぜん過食したくならないんだけどさ。(昨日は夫の希望で巨大とんかつの店でランチ。もりもり8割方食べたが、溜め息が出てきた時点でギブ。もう食べたい分しか食べられない)敢えてそこを持ち出すことで、変に背伸びしそうな自分の目を覚ます、って感じ。だめな自分でいいんだよ、いい自分にならなくていいんだよ、ってなー。あっ!ホメオパスH田が言ってた「悪い母ちゃん」と同じじゃん~。わはは。えー、解説を付け足しますと。本当に大切なことは「私が心地よい」ことなわけです。他人から見てどうだろうと、世間的に見てどうだろうと、関係ない。私がいい気分でいられること「だけ!」が大事。その「いい気分」ってのを、アタマは勝手に先取りしようとしがちでともすれば「いい気分にならなければ!これなんかどう?」と、娯楽を探そうと躍起になってくれたり。「こんなことができたら、もっといい気分になれるよ?」と新たなチャレンジ(目標設定高め)を持ってきてくれたり。「過食でいい気分」より、「アロマでいい気分」の方がエライわけじゃない。でも何となく、アタマはそっちの方がエライと思ってる。ほんとは何だっていいの。私が良ければ。アタマじゃなくて私が良ければ!アタマは私じゃないのよ~!!!更に言えば、前の記事で書いたゴムバンドの件だって「ネガティブなことを言わない自分!」を目指しちゃったりした途端おかしな方向に向かうこと請け合い、です。じゃなくて、じゃなくて、じゃないのよう!いわゆる「ポジティブ」を無理やりキープするってことじゃなく、眠いなら眠気を味わう、美味いなら美味いを味わう、楽しむ。(別にニコニコしてなきゃいけないわけじゃない、ぶっちょーづらでもいい)ただそこに言い訳とか罪悪感はいらない、ってこと。堂々とぶっちょーづらであれ、ってこと。罪悪感とか愚痴とかにフォーカスしそうになった時、あっそうだ、と気付くためのゴムバンド。文句言うんじゃなくて、悩むんじゃなくて、解決できるならする、できないなら放っとく、そして今できる範囲の快を味わうことに目を向けろ、という意味のゴムバンド。「ネガティブなことを言わない」ことになんて、何の意味もない。そんなのただの結果だ。「いい母ちゃん」とかと同じ。いい気分でいたら自然とネガティブな発言は出ないし、いい気分でいたら自然とやさしい母ちゃんになれちゃうけど(最近オレやさしいぜ~・笑)間違っても「結果の方を目指しちゃ」いけない。辛くなる。自分を偽ることになる。アタマがすぐ勘違いするのはそこだ。あー、解説してるはずが、余計こじらせてる気もしますが。少しは何か伝わったでしょうか。私って本当に、こういうビミョーすぎる細かいことを文章にするのが大好き。すっげーワクワクしちゃうんだよね・・・ぜーぜー