女子
ダンナや母は、普段モモを「女だ」と思って接してはいないと言う。モモはモモで、男とか女とかじゃないらしい。私はといえば、わりと女だと思って見ている。まーしかしそれはモモが女だって事実を知ってるからそういう目で見てるだけで、赤の他人がパッと見ても性別なんか分かんないかもしれんけど。そんなにたくさんの赤子を見たわけじゃないけれど、知っている範囲では、赤子でもやっぱり男っぽかったり女っぽかったりする気がする。特に声。男の子は「あ゛ー、あ゛ー」って感じで男らしい野太い声のような。女の子は甘ったるいような。まあ個人差も大きいんだろうけどね。モモの声は甘ったるい。助産婦さんが言うには、生まれたばかりでも女の赤ちゃんは若干尻がでかいんだそうだ。男の子の父親に男同士の楽しみがあるように(親子でキャッチボールとかさ)女の子の母親にもやっぱり女同士の楽しみってのがあると思うんだけど(親子でオサレしたりね)私の母親には多分そういう夢見がちなところが皆無だったんじゃないかなあ。かわいい服とか着せられた覚えないし、そもそもスカート持ってなかったし、髪なんかお揃いのとんでもないベリーショートにされたりしてた。かわいいベリーショートを想像しちゃいかんよ、山猿みたいなやつだよ。そして私自身デブで強烈にコンプレックスがあったのも重なって、随分大きくなるまで自分は女じゃないと思ってた。生物学的にメスに分類されるのは分かってるけど、世の中の「女」という種族と自分とは完全に別物って感覚だったなあ。この数年でやっと自分に「女」を許すことが急激にできるようになってきたけど、いまだにスカート履く時はちょっぴり女装気分。さてそんな私が女子を育てるにあたって、やっぱり自分みたいにややこしい遠回りはしないで欲しいと思っている。自分が当たり前に女だと、小さい頃から何の疑いもなくいて欲しい。というのは妊娠のにの字もない頃から頭では考えていたことだけど、この半年で別人のように人間っぽくなったモモを見ていると、急にいろんなことがリアルに想像できてワクワクしてくる。モモに女を満喫してもらいたいと同時に、私も満喫したいなーと。二人で一緒に「女子」して遊ぶのを想像すると楽しくって。変に手出しさえしなければ、彼女はきっと生まれ持った「女」っぷりを見せてくれる師匠になるだろう。子育てを通して、幼少時に味わい損ねた「女子」をいまさら追体験できるかもしれない、それってすごく楽しいかもしれない、と今日急に思いついて嬉しくなったのでした。だってさー、モモが甘える時の仕草なんて既に思いっきり「女!」なんだよね。ダンナも最近は「うわー女だなー」と言いだした。