山口県光市の事件
今日の夜、「報道ステーション」を見て涙が止まらなくなってしまった。 7年前に山口県で起きた、当時少年だった男が犯人の母子殺人事件。 その事件の最高裁での口頭弁論を、被告人の弁護士が欠席したため、成立しなかったという。 事件後、被害者の夫であり父親である遺族の男性が、ずっとずっと声を上げて被告の罪を問い、法律の不備を問い、被害者側の人権を訴え続けている。 番組では彼と、亡くなった奥さんとの恋愛の経過や、単身赴任していた夫へあてた彼女の直筆の手紙、事件直前に家族で撮った3人の記念写真などが紹介された。 本当に丁寧に日常の幸せを積み重ねていた、胸が温まるような家族の肖像がそこにあった。 その愛する家族を事件により奪われた夫は、いかな卑劣な犯罪でも、犯人が少年であるというだけで減刑されるという法律の無惨さに憤り、自ら矢面に立ち妻と子が惨殺された時の様子を公表してまでも、世間に対し罪と罰の意味を訴え続けて来られた。 以前にルポルタージュの『少年にわが子を殺された親たち』という本を読んだ。 その内容の重さと自分の感情と思考の混乱ゆえに、ブログに感想をアップできないでいるのだが、その本では子供を殺害された親たちはみな、少年法の行き過ぎた加害者保護が、逆に被害者軽視につながっていることを痛感していた。 遺族は、犯罪と法律の両方によって傷つけられていたのだ。 そのつらさゆえに事件について口を閉ざしてしまう遺族も多いだろう。 本の中では、気丈な親たちが加害者責任を追求し、子供の死亡時の状況の情報開示を警察に求めるのだが、被害者の遺族として当たり前のそれらの行動が、世間になじられ、匿名の嫌がらせを受けたりという、三重の苦悩を味わっておられる。 ともかくも出る杭は打たれる日本社会の中で、この遺族の男性の取った行動が如何に勇気が必要で、如何に苦難に満ちた選択であるか、想像しただけで本当にただの情報の傍観者に過ぎない私でも胸が痛くなってしまうのだ。 後先を何も考えていない、愚かな少年の欲情がもたらした犠牲はあまりにも大きい。 今回の弁護士の欠席をただの引き伸ばし戦術だとマスコミも責めているが、この裁判を担当することになった弁護士にとっても苦渋の選択だったろうと思う。 ただの売名行為で、このような誰が見ても許しがたい事件の裁判を引き受けるのはリスクが大きすぎる。 弁護士は弁護士なりの信念があり、それにそった行動をされているのだと信じたい。 だが、今回の口頭弁論の延期が遺族側にどれほどの苦痛と現実的損害をもたらすかという点においては、許しがたい行為であると思う。 彼らはどこまでも傷つけられなければならないのか。 11ヶ月だったという、愛娘夕夏ちゃんが、ハイハイしながら母親の遺体に取りすがって泣いていた姿を思うとたまらない。 我が子をそのような目に遭わせる相手がいたら、私なら悪鬼羅刹と化し、八つ裂きどころではすまさないとすら思う。 だが、息子を持つ親として万が一にも将来、我が子が犯罪の加害者になってしまったら、どんな僅かな救いの手でもすがりつくと思う。 この遺族の方のような、毅然とした戦い方は私にはできそうにもない。 彼がどうにか納得できるような裁きがもたらされる事を、心よりお祈りする。