私の履歴書 『 まわりに導かれ支えられた 構造と空間の専門家への道 』最終回
《 エピソード3 ~“構造"への目覚め(独立)~ 》そして時は経ち、また私は大学のS教授の部屋にいました。大嶋 『すみません!せっかく紹介いただきました設計事務所ですが、 辞めることになりました。』 2年前と同じシチュエーション・・・ S教授 『今度はこれからどうするつもりだ、あてはあるのか? そろそろお父さんの会社を手伝わなければいけない頃 じゃないのか?』 大嶋 『実は父親の子会社があるのですが、今年がんばって 1級建築士をとって、 その子会社を設計事務所にしようと思っています』 S教授 『独立するのか?大変だぞ!設計の仕事のあてはあるのか?』 大嶋 『父親の会社の仕事はあるのでしょうが、小さな会社なので他にも がんばって仕事を作らなければと思っています』 S教授 『そうか。それなら構造設計の仕事をする気はないか? OBが今度名古屋で構造設計事務所を開設したので、 その気があるなら 何かと仕事はあると思うよ』 (願ってもない話だ!しかし構造設計事務所の仕事といったらまた一から勉強だ。 しかし木構造の伏せ図を描いたときは面白かったし、 鉄骨や鉄筋の構造も覚えたら面白いかもな)そう考えをめぐらせた時間はほんの1~2秒だった(はずです)。大嶋 『は、はい』 (こんな展開になるとは、心の準備が全然してなかったけど、 これも流れだ) 『お願いします』 (あれ?2年前と似たような状況だなあ)S教授はメモをめくり、おもむろに電話を掛けだしました。やっぱり2年前と同じシチュエーションです。持つべきものはいい先生ですね。そうして「オオシマ設計」は意匠設計、構造設計の両方として会社のスタートをしました。構造の仕事は思っていたより大変でした。パソコンソフトもいまよりずっと高価な時代でしたから、とても購入することはできずすべて手計算で構造計算をするわけです。(現在手計算で構造計算する人は少なくなってしまったでしょう)しかし会社には私一人、誰に聞くと言うわけにはいかず、まずは手計算をするために、参考となる書籍を探すことから始まりました。そして探してきた書籍を読んでみると、見たことある気がする計算式なのだが、それが実際に計算する前に理解しようとしてもさっぱりわからない!たった一つの式の意味を理解するのに、結局1日かかってしまったこともありました。情けなくて涙がにじみそうでした。正直言うと単位ですら混乱していました。この式で使うこの符号はt(トン)なのかkgなのか、これはmなのかcmなのかでさえ・・・複雑な計算式の中で単位が一桁違うということはまるで意味がないわけですから、単位はもう本当に基本の中の基本なんですね。学生時代に本当にサボっていたので、罰が当たったのですね。(こんなにお世話になるS教授の授業最中に抜け出して、 テニスをしに行った私が馬鹿だった!)1人で仕事を始めて、上司も、同僚もいない中で構造の基本を一つ一つ覚えていくしかなかったので、当初は一つの計算を終わるのに人の5倍くらい時間が掛かったのではないでしょうか。そうするうちに、構造設計事務所からの仕事だけでなく、その紹介で大手ゼネコンさんの構造設計部に出入をするようにもなって、いろいろな会社の仕事方法も目にする機会が増えました。結果的に構造を知ることにより、建物の全体像がよくわかるようになっていたことに気がつきました。『なるほど、奥村組にいたとき現場であの仕様になっていたのは こういうわけだったのか!!』『設計事務所勤めの頃、構造をもっと理解していたら あのような不経済な図面は描かなかっただろうな』という事がわかるようになってきたのです。そうなると建築の面白さがまた変わって来たのですね。友人Wがこういったのを覚えています。(その友人WとはS教授の授業中にテニスに誘ってくれた張本人)『オオシマは学校では一番のほほんとしてたように見えたけど(勉強して無かったという意味だろう)社会に出てからは一番勉強してるんじゃないか?』さすが持つべきものは友人ですね。そんな言葉が私を支えてくれてもいたのです。おかげさまで、今では“構造に詳しい工務店の設計部長兼社長”ホームページ上などでは、住宅の調理人という意味で“シェフ・オオシマ”になっているわけです。 (おわり)どうぞご感想をおば!よろしく!