せんせい おこってるの?
「せんせい、くるしたぬいでもいい?」お稽古に来るとしゅうちゃんは決まって言う。冬でも、暑いといって、くるしたならぬ靴下を脱ぐのである。脱いだ靴下を丸めて机の下に置き、おけいこバッグから硯(すずり)や筆の道具を出して机上に置く。初めてお稽古に来た時、準備の仕方、道具の使い方などを教えると、次からは間違うことなくきちんと、一人で準備も片付けも出来るようになった。しゅうちゃんは3歳で一人っ子。大人の間で育ったせいか、時折大人びた会話をするおしゃまさん。鉄道や天体に興味を持ち、知識欲旺盛で利発なちびっこである。「せんせい、みょうじょうってしってる?・・きんせいのことだよ」答えを待ちきれず、自分で答えてしまう。「夕方一番に光る星のことね」「わくせいのひとつなんだよ」私は昔から目だけは自信があり、視力は常に1,5を維持していた。30歳を過ぎて1.5というのは遠視ですよ、近所の眼科医に言われるまで自慢に思っていたのである。40を超えると、自分にも遠視というか少々早すぎる老眼を実感するようになり、眼鏡を調達した。小さな文字を読んだり書いたり、しかも夜遅くまで目を酷使しているのだから仕方がない、といえばそれまでだが、普通の人より早くから眼鏡のお世話にならざるを得なくなった。私は煩わしさと恥ずかしさもあって、人前ではなるべく眼鏡を掛けないでいた。子供達のお稽古中も。幸いなことに眼鏡をそれ程必要とはしなかったのである。ある日、生徒の一人が、母親からの手紙を持参した。例によって私は眼鏡を着用していない。が、その手紙の文字は小さくて少々読み辛い。そう思った時、しゅうちゃんが言った。「せんせいおこってるの?」「・・・・・?」「うちのははうえはね、おこるとき ひたいに たてに せんがあるよ」そのしゅうちゃんも、年賀状に自作の漢詩「五言絶句」を書いてよこす立派な高校生になった。