三冊屋 「語る意味、書く意味」
言葉は、使い方が難しい道具だ。きっかけは、年が明けて、囲碁の日にみかけた、つぶやきだ。 >いい(キャッチ)コピ-というのは、商品やサ-ビスの宣伝をするだけでなく、読んだ人に、ハッピ-やたのしさを提供してくれます。(カシミア広場: http://idetomotaka.com/ ) 言葉が受け手に浸透し、意識を変える、という企み。これが、年末から読んでいた本と、共鳴した。>広告表現は、商売のための表現です。 自己表現ではありません。>表現力の差は、他者の思いを想い、想い至る力の差。 受け手に伝わって、受け手に変化が起こって、はじめて意味を持つ。 >会話を促す情報はあるか? この問いは、碁会所のコピ- http://twitpic.com/83d2b1 をつくるとき、ヒントになった。また、週間363ボケをかました私を、一瞬でノックアウトしたのが、 >朝までにコピ-500本。 プロはまず量からして違うね。もっと早く読めば良かった一冊だ。 本書を読んで、意識を変えたら、すぐに書き始めなさい、といっている。 >人を変えるために書け>読む人の立場で書いているか>客観的に書かれた文章は使えない ↑ これは、 「瑠璃色の戯言」の記事に近い。 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110105#p1新書らしく、各項の見出しがよくできている。ところどころ矛盾させたり、逆説的な表現が多く、読者に引っかかり易くしている。 >まず、自分が驚け>異論があるか?あればことごとく却下だ>文章で自己表現はできない>削る作業に自分が出る>果たして言うほどの価値があるか ゴチャゴチャやらずに筋良く、ということ。『「やめること」から はじめなさい』(千田琢哉)に通じる。後半では、ライブ感、身体感覚を力説、書きながら新しい考えが湧いてくる状況が理想、と。囲碁ボケハイに通じるかもしれない。確かに、あの夏の終わりの一週間は、http://plaza.rakuten.co.jp/zeniki/diary/200907160000/以下の一節に通じる体験だった。 >踊りながら書け >これから10万字を超える文字を費やして書こうとすることは、実は4行で書き尽くせる。 冒頭の言葉は、それだけ言い聞かせても、分からない人が多い、ということ。4行どころか、1行でいい。 >受け手が言って欲しいことを言ってあげるだけ。 武宮先生は、こう言っている。 >技術は修正できますが、発想が間違っていると、何をやってもダメですね。 何を言うか、そして、如何に言うか。