大事を思ひ立たむ人は・・・
悟りを得るという大事を為そうと思う人は、その他の心に掛かる事をやり遂げようなどとすることなく、それを捨て去る事だ。「しばらくこれをやり遂げてから」とか「これは放っておいて世間から笑われたり非難されたりしないように」、あるいは「今まで長年こうしてやってきたのだからあと少し待てばそのうち何とかなるだろう。騒ぐ事もあるまい。」などと思っていると、避けられない障害が次々と生じて大事を為そうと思い立つ日などはあり得ない。 世の中の人は少し考えのある人でも皆、このようにいつか大事を為そうと思うだけで一生を終えてしまう。隣が火事という場合などに、「今避難するからちょっと待ってくれ。」などと言うだろうか。助かりたいと思えば恥も構わず、財産をも捨てて避難するに違いない。 死も待ってくれはしない。最後の日がいずれ来る事は火事や水害が押し寄せてくるよりも速く、逃れられないものである。その時に至って老いた親、幼い子、恩や人の情が捨てがたいと言っても捨てずに済むわけもない。(59) さはさりながら凡人の業の深さよ・・・