古代エジプトの歴史
最近興味があり、古代エジプトのことをいろいろ調べています。自分なりに調査しているので、違っていることもあるかもしれませんが、古代エジプトの歴史をまとめてみました。古代エジプトの歴史1.紀元前4000~3000年(先王朝時代) エジプト文明と呼ばれる以前は、国家は統一されておらず、各地で小さな文化が発達 していき、紀元前3000年頃、上エジプト、下エジプトに原始的小国家が存在し、 その後統一された。2.紀元前2900年頃(初期王朝時代) ナルメル王(第1王朝)により、エジプト全土が統一された。3.紀元前3000年頃(初代王朝時代) ジュセル王(第2王朝)がファラオの時、エジプト史上初の、「階段ピラミッド」が建設 された。 この設計者がイムホテプと呼ばれていたとのこと。彼は医学や天文学に精通し、ファラオ 以外で唯一神とされていた人物だとか・・(映画ハムナプトラで悪役の役名と同じですね) この「階段ピラミッド」からはミイラの足が発見されているので、墓という扱いになって いるようです4.紀元前3000年頃 スネフェル王、クフ王の父がファラオの時、ピラミッドを5基建設しているので、ピラミ ッドが墓ではないという説が考えられます。有名なのは崩れピラミッドや屈折ピラミッド ですね。クフ王、カフラー王、メンカウラー王(第四王朝)がファラオの時、あの有名な ギザの三大ピラミッドが建設されました。クフ王のピラミッドは「第一ピラミッド」と呼 ばれ、内部の落書きから、クフ王のピラミッドだと判断されています。このピラミッドは 謎が多く、「太陽の船」が発見されたのが1954年、その後エジプトでは左右対称がよ いとされていたことから、あの有名な吉村教授率いる早稲田隊が「太陽の船」が左右対称 の位置にもう一体あるのでは?と考え、1987年に、「第二の太陽の船」を発見しまし た。5.紀元前2650年頃(第3王朝時代)~紀元前2200年頃(第6王朝時代) クフ王(第四王朝)後ウナス王(第五王朝)、がファラオの頃、初めてピラミッド内にヒ エログリフ(古代エジプト独特の絵文字のような文字です)が刻まれるようになった。6.紀元前2200年頃(第7王朝時代)~紀元前2040年頃(第11王朝時代) 第一中間期といい、ファラオが次々と交代していく時代に突入します7.紀元前2040年頃 メンチュヘテプ2世によって、全国統一がなされ、中王国時代が始まります しかし、紀元前1680年ごろ、「ヒクソス」という謎の民により、エジプト全土を占領 され、第2中間期が訪れ、暗黒時代が始まります セケネンラー2世が立ち上がったものの、戦いに敗れましたが、その息子カーメス王、イ アフメス王によって、再び全国が統一されます8.紀元前1565年頃 カーメス王、イアフメス王(第18王朝時代)により、新王国時代が幕を開けます9.紀元前1505年頃 トトメス3世が6歳でファラオに即位、ハトシェプスト王女が後見人となり、実権を握っ ていた10.紀元前1482年頃 トトメス3世は大人になり、ようやく単独政権を握ることとなります。トトメス3世は、 後見人であったハトシェプスト王女を嫌い、カルナック神殿のオベリスクにまで、細工す るほどだった。 その後、アメンヘテプ2世、トトメス4世、アメンヘテプ3世がファラオとなり、最大の 繁栄を誇ることとなります。そして、その後アメンヘテプ4世がファラオとなり、彼はア テン神を信仰しました。11.紀元前1350年頃 ここでやっと、あの有名なツタンカーメンの名前がでてきます。 彼の名前は王名表から抹消されています。アメン神信仰の時代に、アテン神を信仰した いたファラオという理由で、ツタンカーメン前後の、アテン神信仰ファラオの名前が王 名表に載せられなかったのです。ツタンカーメンが幼少のころ、ファラオに即位し、そ の後アメン神に信仰を変更しているようにおもわれていますが、幼い彼にそのようなこ とはできるはずもなく、側近アイの仕業と言われています。 18歳で亡くなったといわれるツタンカーメンの墓は、ハワード・カーター(イギリス の発掘者)に発見され、彼の遺言で、今でもそのミイラは王家の谷に安置されており、 博物館などへは移送されておりません。彼のミイラは110キロもする、あの有名な 「黄金のマスク」がかぶせられ、その上に3重の人型棺に納められ、さらに3重の厨子 に治められていました。彼の墓から発見された、宝物や第2人型、第3人型棺は博物館 に展示されています。第1人型棺に入った状態で、ミイラのツタンカーメンは王家の谷 に眠っているのです。宝物の置いてある部屋にあった、矢車菊のドライフラワーは彼の 妻の愛を感じられ、花の季節により、ツタンカーメンの死亡季節がわかるとのことです。 宝物の一つである「黄金の玉座」にはツタンカーメンと、その妻アンテセナーメンが描 かれていて、博物館に展示されています。12.紀元前1270年頃 ラムセス2世はファラオとなります。石を投げれば彼の建築物にあたるともいわれるほ ど、ラムセス2世は建築王とよばれ、アブシンベル神殿、ラムセウム、カルナク神殿、 を建設します13.紀元前1070年~700年頃(第21王朝~25王朝)第3中間期 このころ、がラオのミイラ隠しが行わました。これは王墓の盗掘が頻繁に怒っていたた め、ミイラを掘りおこし、他の場所に移したとされています。有る場所から多くのファ ラオのミイラが発見されているとのことです。14.紀元前700年(第25王朝)末期王朝時代 このころエジプト全土が再統一され、王朝時代の末期を迎えます。紀元前343年ごろ、 第30王朝においてエジプト人によるエジプト支配は終わりを迎えることとなりました。15.紀元前332年 マケドニア王国の王子、アレキサンダー大王は子供の頃から天才と呼ばれ、エジプトの 思想やトトメス3世の業績に出会い、大きな影響を受け、アレキサンドリアという街を 建設しナイル川の氾濫を調査した。この街は今でもエジプトに残っているそうです。 彼は、世界征服を目指しインドへ向かうものの、32歳でマラリアにかかり死亡する。 その時の将軍だった、プトレマイオスは、アレキサンダー大王の遺体をもって、エジプト へ向かい、今のカイロあたりに埋葬し、アレキサンダー大王の息子フィリップ4世とと もに、自国宣言をし、彼は、プトレマイオス1世として、王朝を築き、エジプト文化を 尊重しつつ、ギリシャ文化との融合も計った。これはアレキサンダー大王の目指してい た理想を受け継ぐものであった。 ここで、かかせないのがクレオパトラの話である。世界三大美女にも選ばれている絶世 の美女。彼女はエジプトの民を守るため、カエサルという男を味方にし、プトレマイオ ス13世を共同統治を進言し、その後反対派とアレキサンドリア戦争を起こします。カ エサルとの間にカエサリオンを授かったクレオパトラだったが、カエサルはあの有名な 言葉「ブルートゥスおまえもか!!」との言葉どおり、ブルートゥスに暗殺されてしま います。次にクレオパトラはカエサルの腹心だったアントニウスを味方にし、エジプト の支配者となり、カエサリオンを王位継承者とし、エジプト領土の回復をしましたが、 その後の海戦で破れると、クレオパトラも死を覚悟し、コブラに自分を噛ませ、自殺し ます。 これが紀元前30年頃の事です。そしてエジプトはローマの属国となり、ローマ時代が始 まります。そして、その30年後キリストが誕生します