最期に間に合いました
(母が4年近くお世話になった部屋の窓から 母と一緒に見た風景です)母の細胞検査が 「1月5日 あるいは その1週間後に実施予定」 という事でソナタは1月4日、母の所に向かいました。1月1日から 状態が 更に悪くなっていると聞いて心配していましたが新幹線で名古屋あたりを走っている時に 姉から「間に合うかどうか?なので 急いで病院に直行して」とのメール病院の傍の駅に着いてから、タクシーで走って午後1時半頃に病室に到着すると母はソナタを認識できたようでかすかな声で「遠いのに来てくれたのね」と言ってくれました。「しんどい??」と尋ねると 首を横に振ってくれました。そして その夜、10時前に息を引き取りました。(医師は急患対応で忙しくて、医師が確認した公式死亡時刻は その20分後となっています)検査で確認する前に亡くなったのですが死因欄には 母の姉と同じ 悪性の病名が書かれていました。72歳だった母の姉は「それはそれは 苦しんだ最期だった」と 母から聞いていたのでもしかして 母も同じ苦しみを?? と心配しましたが高齢(89歳)の為なのか?私の願いが通じたのか?それ程の苦しみは無かったのが 救いでした。