小早川家の御館周辺を歩く その4 愛宕神社
小学校をあとにして、高山城に向かう道をのぼりましょう。いまは舗装されていますが、かなりの急坂です。しばらく登ると、土肥谷にある愛宕神社がみえてきました。この神社の境内からは、眼下に、小早川家の御館跡と推察される本郷小学校や本郷の町並みをのぞめます。画面の下半分に広場が見えますが、ここが小学校の校庭です。愛宕神社は、小学校(御館跡推定地)からみて、ちょうど西北に鎮座しています。古くから西北(乾の方角)は、魂風(たまかぜ)の吹く方角とされ、祖先の霊が行き来する特別な方角とされてきました。このため、村の共同墓地を西北の村境につくることもよくおこなわれました。小早川家の御館跡から見て、魂風の吹く西北に鎮座するこの神社も、おそらくは御館を守護する神社として信仰されてきたのでしょう。さらに言えば、先日紹介した小学校の東側にある具住神社は、もとは土肥谷にあり、小早川家に崇敬されたと伝えられています。もしかすると、この具住神社こそ、御館の西北を守護する神社として、この愛宕神社の場所に鎮座していたのかもしれません。この場所からすぐ後ろをふりかえると、高山城は、もう目の前です。画面の左方向には、小早川隆景が新たに築いた雄高山城もみえます。このあたりは、もともとは、谷が広がっていたそうです。いまは新興住宅地となって、古くからの地形は大きくかわってしまいました。このため、城の直下がどのような地形になっていたのか、よくわかりません。このあたりを写した古い写真をお持ちのかたがいらしたら、ぜひご連絡ください。