ITさんへの回答-賀儀城に残る戦争遺跡
ITさんよりご質問があった賀儀城の大きな四角い穴について、現地の歴史に詳しいОさんから、情報をいただきました。下記にОさんの文章をそのまま掲載します。お答えします。戦時中に陸軍暁部隊が駐屯していました。その部隊の小型船舶を隠していた穴です。東側の穴には中央が深い溝になっています。これはスクリューを避ける溝です。私達が小学校在学中にはその時の船外機がありました。忠海は昔から戦には欠かせない土地だったようですね。やはり、戦時中の遺跡でした。ちなみに、文中にある陸軍の暁部隊とは、陸軍の船舶輸送に関わる部隊に付けられた通称名(ニックネームのようなもの)です。本当の部隊名が敵に知られると都合が悪いため、かわりにこうした通称名が使われたようです。専門外の事ゆえ、忠海の暁部隊の正式部隊名まではわかりませんが、たとえば、機動輸送第八中隊は、暁第16732部隊と呼ばれるなど、暁部隊のつぎに部隊番号が明記されました。それにしても、なぜ、こうした船舶部隊が忠海に配備されていたのでしょうか。忠海の沖にある大久野島は、陸軍の造兵廠火工廠忠海兵器製作所(1929年竣工)が設置され、日中戦争からアジア太平洋戦争にかけて、毒ガスを製造していました。さらにその一部は、北九州市(当時は企救郡曾根村)にあった陸軍の造兵廠曾根製造所に運ばれて、砲弾・爆弾に注入されまた。忠海の暁部隊は、こうした毒ガスの輸送任務と深く関わっていたのでしょう。こうした戦争中の出来事も、これからはきちんと記録を残しておかないと、いずれ忘れ去られてしまいます。とくに忠海の戦争遺跡は、大久野島の毒ガス関連の戦争遺跡とあわせて、記録し、保存することが必要でしょう。これからのOさんたちの取り組みに、期待しましょう。さきほど、大きな揺れを感じました。仕事部屋の本棚がぎしぎし揺れました。震度4だそうです。大きな地震がくると、いつ本棚が倒れてくるか、心配になりますが、倒れても本棚どうしが途中で支えあうため、まあつぶされる恐れはないと思って、じっとしています(というより、本があちこちに積まれているため、すぐに脱出できないのです)。今回も、本が散乱するほどではなかったので、一安心です。