石塔調査2007 夏
今年も9月に、竹原市・三原市・東広島市・呉市・尾道市・大崎町・今治市・廿日市市という広い範囲に及ぶ石塔の調査を実施してきました。もちろん中心となったのは小早川領の石塔ですが、宝篋印塔の細かな部分の違いを調べるために、その周辺部にまで足をのばしました。いつもなら9月にはいると暑さも和らぎ、瀬戸内を吹く風も心地よくなるのですが、今年は連日34度を超す猛暑!石塔を測定する器具も照りつける太陽によって熱せられ、5分もすれば、もう熱くて持てないほどでした。そんなかちかち山状態が連日続いたため、いつもよりペースはダウンしましたが、それでも多くの新しい発見がありました。幸崎(さいざき)三原市幸崎町にあるO家の墓所では、2基の宝篋印塔をはじめ、数多くの五輪塔を確認しました。数えてみると、宝篋印塔は2基(基礎2個、塔身2個、笠2個、相輪は確認できず)五輪塔は、寄せ集めですが、各部を数えると、地輪が18個、水輪が35個、火輪が35個(ほかに火輪らしきもの1個)、空風輪が2個(ほかに空風輪らしきもの2個)もあります。このほか寺の礎石として火輪1個、地輪1個が使われています。この点から、このあたりには少なくとも宝篋印塔が2基、五輪塔が36基はあったことがわかります。このほかにも、江戸時代の一石五輪塔が10基あり、このうちの1基は、高さが95.5センチもある大型のものです。また、宝篋印塔の1基は、その形や比率から14世紀代のものと見られ、このなかでは、もっとも古そうです。おそらく、宝篋印塔がまず建てられ、その後、そのまわりに五輪塔があいついで建てられていったのでしょう。それをある時期にこの場所に集めて祀ったようです。すぐ近くには、弘安2年(1279)とも、元禄5年(1692)創建とも伝える曹洞宗の寺があります。寺の開基は、はっきりしませんが、五輪塔や宝篋印塔からみて、中世後期、ここにそれなりの有力者に保護された寺があったことは間違いないでしょう。墓所のすぐ前は、せまい瀬戸。この石塔群は、この水路を押さえていた勢力が建てたもののようです。おそらく中世は墓所のすぐ近くまで海がはいりこんでいたことでしょう。その海をみおろすように建てられた寺は、この勢力の氏寺だったのかもしれません。新庄竹原小早川の本拠地となる新庄でも、またひとつ宝篋印塔を確認しました。15世紀頃に作られたもののようです。眼下を旧山陽道が走り、正面には茶臼山城のある山がみえます。まだはっきりしたことはいえませんが、竹原小早川氏の本城となる木村城周辺に分布する宝篋印塔や五輪塔を見ると14世紀から15世紀にかけての石塔は、木村城周辺よりも、そのすぐ北に位置する茶臼山城の周辺に広がります。小早川氏の氏寺であった法常寺も、この近くにあります。これに対し、木村城東麓の末宗(すえむね)の谷は、荘園領主(賀茂神社)の預所(あずかっそ・荘園の管理責任者)がいた空間で、城の西南には賀茂社も鎮座します。こうしたことからみると、あとから割り込んでくる小早川氏の拠点は、はじめは木村城周辺ではなく、もう少し北側の茶臼山城周辺の一帯だったのではないでしょうか。これからの検討課題です。安芸津(あきつ)竹原小早川氏の外港として使われていた安芸津でも、たいへん立派な五輪塔をみつけました。お堂に囲われて大切に守られてきたため、とても綺麗で、各部がすべて揃っています。今年一番の成果が五輪塔の発見でした。ただ、確認したのが夕方だったことに加えて、五輪塔の周囲を何匹ものハチがホバリングをしていたため、詳しく調べることができませんでした。また、地輪部をセメントで固めているため、正確な高さは測定できませんでしたが、ざっと測定したところ、空風輪の高さは28.5センチ、火輪の高さは22.2センチ、軒幅は36.5センチ、軒厚は中央が7.5センチ、右端が7.8センチ、水輪の幅は37.0センチ、地輪の上端幅は43.5センチありました。空風輪、火輪、水輪、地輪の4面すべてに梵字を刻み、鎌倉末から南北朝期の五輪塔のようです。修験に関わる五輪塔と思われますが、詳しくは、来春、あらためて調査したいと思います。大崎上島大崎上島でも、藪に覆われた無縁仏のなかから、立派な五輪塔をみつけました。藪を取り除くと、これも各部4面に梵字を刻み、安芸津の五輪塔に劣らぬ作りです。空風輪の高さは24.2センチ、火輪の高さは22.7センチ、軒幅は34.3センチ、軒厚は中央で7.2センチあり、安芸津の五輪塔より、わずかながら小型の五輪塔です。残念ながら地輪がありませんが、島にとっては貴重な歴史資料、きちんとした形での保存がのぞまれます。すぐ後ろには、15世紀頃かと思われる宝篋印塔の基礎(幅34.8センチ)もありましたが、時刻はすでに17時をまわって、陽がかたむきはじめています。残念ですが、ここも来春、改めて調査をしたいと思います。大和町大和町の棲真寺(せいしんじ)には、鎌倉末から南北朝期のものとみられる立派な五輪塔があります。空風輪の高さは34.1センチ(空輪は21.0、風輪は13.3センチ)、空輪の最大径は24.2センチ、風輪の最大径は16.6センチ火輪の高さは26.3センチ、上端幅は16.9センチ、軒幅は41.0センチ、軒厚は中央で8.2センチ、右端で9.2センチ水輪の高さは34.4センチ、幅は43.7センチ(下から21.4センチの位置で最大径)地輪は高さは44.2センチ、幅は44.7センチ全体の高さは、126.8センチあります。空風輪、火輪、水輪、地輪の4面すべてに梵字を深く刻み、この界隈でも群を抜く立派な作りです。安芸津や大崎上島の五輪塔は、この五輪塔とほぼ同じ形をしていますが、これよりひとまわり小さく、梵字の彫りもやや弱いようです。このクラスの五輪塔は、丹念にさがせば、まだみつかるかもしれません。なお、今年もたくさんの地元のかたにご協力をいただきました。なかでも、新庄の宝篋印塔を教えてくださった新庄のKさん、いつも私たちの調査に協力していただき、測定やドライバーを務めてくださる忠海のOさん、お忙しいなか調査に同行してくださった忠海のSさん、現地でいつも便宜をはかってくださる吉名のFさんに新庄のSさん、小梨子を案内していただいたSさん、大崎上島を案内していただいたKさん、安芸津町史編纂室のNさん、Nさん、Mさん、そして呉市教育委員会の皆さん、お忙しいなか、本当にありがとうございました。このところ多忙のため、ブログの更新がとまっていますが、調査は順調に進んでいます。順次、このHPで紹介していきますので、いま少しお待ち下さい。次回は、来春3月末を予定しています。またお会いできる日を楽しみにしています!