田舎の定食と全州のビビンバ 韓旅17-4(扶余-太田-全州)
時間があったので歩いて、チョチョンの町に行くことにする。20分ほど歩くとちょっとした町に着いた。数軒ある食堂の中の一軒に入る。「食事できますか」「いいよ、ペッパン(定食)でいいかい」オバサンが気楽に応えてくれる。「それで結構です」「どこから来たんだい」実はかくかく云々。「そうかい。バス待ちならば時間は1時25分だってよ」気さくな店主で助かった。食事が出来る間、近所の人が食事が終った後『持ち込み』の柿をむいておしゃべりをしていたのだけど、それを私に呉れた。食堂でどうどうと持ち込みの柿を持ってきて食べるところが韓国なのである。ペッパン(5000w)は、総てのおかずが美味しかった。黒豆もあったし、椎茸も美味しく、なにより辛すぎるおかずが無かった。明らかにこの地方の普段の食事である。実は配膳をしてくれた若いアガシにちょっと質問をしたら「私、良く分からない。中国人です」という応え。なぜ中国人の彼女がこんな田舎で働いているのか、ということとか、その他なんとかコミュニケーションをとりたい(例えば私のカメラの記録を見せながら)とも考えて話すキッカケを探っていたら、オバサンが「バスが来るよ、早く早く!!」というので、後ろ髪を引かれる思いで店を出た。バスは近隣の村をぐるりと回って扶余方面に帰っていく。途中で降りて陵山里古墳群を見て回ることにした。ここは扶余に都があったシビ時代(538-660)の歴代の王陵である。1900年代、時の日本帝国が何度も調査をしたらしいが、既に盗掘にあってほとんど何も残っていなかったらしい。当時の石室内部を復元しているのがあったので入ってみる。石室は見事な百済式横穴石室である。隣では大々的に陵山里寺の復元工事をしていた。ほとんど「お宝」が出なかったこの古墳群で唯一既に紹介した百済金剛大香炉が出土したお寺なのである。何でもかんでも遺跡の上に「復元」という名の遺跡破壊をしてしまう韓国(日本もよく行う)には、賛成できない。バスの時間になっても、待てど暮らせどバスが来ない。ついに歩いて扶余の町まで帰った。途中で家を解体したような土地で飼われていた猫と犬。よく見ると、猫の首輪は電気のコードだ。あまり幸せそうではない。扶余から太田(テジョン)までバスで行く。16時に出発、着いたのは17時半。大田は温泉くらいしか魅力的なところがないので直ぐに全州(チョンジュ)に行くことにする。ところが、バスが着いたのは西部バスセンター。全州行きはない。市の東にある高速バスターミナルに行かないといけない。太田は一度来たことはあるのだが、西部バスターミナルは初めてだったので戸惑った。バスターミナルからバスターミナルへの連絡がとっても悪い。高速ターミナル行きのバス乗り場を探して、なんとか市内バスに乗った。ところが、高速バスターミナル前で降りると、現在新しいターミナルを作っているとのことで臨時ターミナルに変わっているらしい。迷いに迷ってやっとたどり着いたのが18時40分だった。全州行きは19時20分が最終、9時に着くけど行くことにした。食は全州にあり。この旅でまだ食べていないビビンバはここで食べると決めていた。バスターミナル前の食堂で特性の全州ビビンバを満を持して注文した。なにしろ普通のビビンバは5000wで、これは10000wなのである。さぞかし素晴らしいのだろうね、と思っていた。小皿は期待とおり10皿出た。けれど不思議なことに初めて食べたときの感動がなかった。小皿もぜんぶ美味しかったのだけど、値段のわりにはやはり普通の味だったのだ。宿は駅前モーテル。30000wを探して選ぶ。バス1,500 朝食1,000 昼食5,000 バス1,500 王陵2,000 扶余→太田6,600 バス1,000 コーヒー1,000 太田→全州5,400 夕食10,000 宿30,000合計 64,000w