池上彰も教えてくれない、宗教とは? 大石寺総代が氏子総代を兼務して謗法
2013年3月10日 18:03 「創価新報」(2月6日付)より。大石寺の総代が、神社の氏子総代を兼務していたという「謗法」。つまりだな、日本人にとっての「宗教」は「宗教じゃない」。「教義」を知らないのだから。よくいう「葬式仏教・神道」などは、(国からお墨付きをもらった)「商売」なわけだ。公務員ではないにしろ、今の独立行政法人? つまり、宗教行為というよりも「行政事業」に近い。葬式やら七五三やらという「戸籍管理のための事業」を国から委託されていたんだな。だから、厳密にいえば「宗教じゃない」。「教義」は関係ないから。教義を理解してないから「宗教じゃない」。では、何かといえば「なんとなく」かな?「みんなが言ってるから、なんとなく正しそう」(=何も考えてない)あ……、あかん……。「日顕宗の総本山・大石寺で、檀信徒の中心者を務めている「総代」が、静岡県富士宮市内の曽我神社の氏子総代を兼務していた問題で、驚くべき事実が次々と判明している。呆れた謗法容認で何より問われるのは、日顕、日如の責任である。神事、祭事を主導大石寺の総代は、檀信徒の中でも〈別格〉の立場である。もとより宗内にわずか3人しかいない大石寺の総代だが、その中でもI家は、代々、総代を務めてきた家柄である。現当主のIは、1998年(平成10年)から大石寺百貫坊で「会計」を務め、2005年(同17年)3月からは同坊の総代に就任した。そして、同年6月から現在までの8年間、大石寺総代を務めてきた。昨年6月には、再任を果たしたばかりである。また、06年には、立正安国論正義顕揚750年記念局の委員として、記念行事や総会の結集にも携わってきた。虫払会など大石寺の二大法要や重要行事では、教学部長・水島公正のすぐ後ろで、総代3人の中心に立って境内を練り歩いている。日蓮大聖人の末流を名乗る宗門にとって、「謗法厳誡」は宗是であり、命脈であるはずだ。ところが、その宗派の檀信徒の〈重鎮〉であり、全国の信者の模範となるべき大石寺総代が、こともあろうに、神社の氏子総代をしていたというのだから、事は重大である。曽我神社は、全国8万の神社を包括する神社本庁に属し、伊勢神宮を本宗と仰いでいる神社である。昨年春、Iは、神体が祀られている曽我神社で行われた例大祭の儀式にも参列。氏子総代として、宮司の真後ろの最前列に座って、一緒になって神体を拝んでいた。この他にもIは、同神社の神事、祭事を主導してきた。一体、百貫坊の住職で大石寺主任理事の佐藤慈暢は、何を指導してきたのか。」