江戸時代の惣菜屋?
江戸は男やもめが圧倒的に多い単身者文化の町だったそうです。吉原や岡場所が栄えたのもこの理由らしいのですが・・・。 江戸は上方(関西)とは違い、女上位でもあったようで、上方から来る人からは以上に映ってもいたようで。。。。、 夜の煮売り禁止令が再々公布されていたようで、食べ物の行商が発達し、仕出し屋の存在も当時の文献に記載されています。 幕末になると、おかずを売る店が各町内に存在して、野菜の煮しめのほか、煮豆腐なんかもあったりして・・・。 売り方は、毎日通ってくる床みせ、大道に商品を並べる天道ぼし、さらに町を流して歩く稼ぎ売りとかですが、今で言えば、ホットドックなんかを売る移動者であったり、夜の夜鳴きそばなんかはファーストフードのはしりなんかだったりして、江戸時代もなかなかそうやって暮らしやすかったんだろうなあ、なんて考えると楽しいですよね。 鬼平が存在した頃は、まだまだ料理屋はすくなかったようですが、鬼平ででてくる肴の一品、一品、季節感あり、味があり・・・。食い道楽といわれた池波先生とオーバーラップしたり・・・。なかなか江戸時代は悪くないなあ、とおもうのでした。