<長文注意> 情けは他人のためならず…自己満足なのかも知れない
喜んでいいと思うことがありました。最近一緒に働くようになった方に「誰に説明を聞くより、あなたからの話が一番分かりやすい」と言っていただいたことです。わたしの話し方は特徴的で、一定の知識や経験がある同僚からは疎まれています。いわゆる道でいうところの、ロータリーがいくつもある喋り方です。喋ってる途中で気がつくのですが、もうどうにも止まりません。相手の反応がなく、大人しくじっと聞いている様子を見ると、わたしは「あぁ、この人はまだ分かってくれてないのか」と感じて、強調したいと思うことを、何度も何度も何度も何度も、繰り返し繰り返し説明してしまうのです。…で、最終的に相手がイラついてきて、「つまりこういうことなんですね!」と、唐突に話が打ち切られます。その時はそれで話が終わりますが、それで対処法をマスターしたかというと、実はそうではありません。その具体例ケース1についての対処であって、別の不安定要素がある案件については、やっぱり見逃しが多発します。これは仕方のないことだと思います。わたしは今でもそうだし。だから結局呼び出しなどの目にあってしまい、(この場合は相手の要求によってですが)また同じ説明を始めることになって、余計どうどうめぐりになるわけです。本当は、コケないようにコケないように、事前にアドバイスするのは良くないのでしょう。事件にぶつかって、情報を渇望している時に説明すれば、すーっと染み込むのだと思います。いわゆるショック療法?だけどそれって、その人が失敗するのを待ってることにならないか?いや、逆説的に、仮にその失敗が会社の損失になったとしても、人材育成には必要不可欠なのかも知れない。上司は上司で悩んでると思っています。すべてを把握したくても、実際問題としてできないのではないでしょうか。きっと、どんなに歯がゆくても不可能に近いんだわ。一個人でどれだけの知識を持てというのか?報告・連絡・相談とは言いますが、相手を強烈に追いつめるのは、わたしだけなのだろうか。でも、あのう、お願いです。できるだけ、書類審査中に問題を釣り上げてください。蓋を開けてみたら、悲しいかな、発見してしまった事実を無視できない性格なので、つい、あーだこーだ言いたくなってしまうのです。言わずに死ねないのです。同じ仕事をしてきてくれた同僚も、一年半経って気付いてくれました。「あんなに頑張って計算しても、結局、何にも見てくれてないんですよね」そうやねん、どんなに準備しても、NGで瞬殺。最初の洗礼はきつかったやろなぁ。----以下、退職した先輩の話です。---新人の頃、最初の所属長からかけてもらった言葉が忘れられない。「悪いことはなぁ、悪いことほど早く知りたいんやぁ。だからすぐ言うてなぁ。…それとなぁ、僕、忙しいから、全部の書類の中身見られへんのやよ。だからな、今後は、君の印がついてあったら無条件で通すよってに、そのつもりでおってなぁ。」その言葉を聞かされた時は、ものすごい責任を感じて怖かった。でもそのおかげで、自分の判断の重要さを自覚するようになった。---引用終わり。---上司の期待とも脅しともとれる言葉を、真摯に受け止めて肥やしにしたなんて。なんて純粋なんだろうと感動します。自分もそうでありたいです。今は、実践方法を間違えているのかもしれない…。長所は短所、短所は長所と言いますよね。今回は新人にとって聞きたい話が満載で、たまたま喜んでもらえただけなんでしょう。慣れてくればきっと、この方もさぞやイライラするのだろうなぁと思いつつ、喜んでくれたことに「ありがとう」と、言いました。たとえ、今だけの言葉でもいいわ。その言葉を胸に抱いて、今日を、明日を、生きていくわ。