世界文化遺産へスクラム
霊峰白山に関係する白山市(石川県)と郡上市(岐阜県)、勝山市(福井県)の3県3市は、昨年(2006)11月末、文化庁に対し、「霊峰白山と山麓の文化的景観」として、白山への登拝拠点「白山の3馬場」と、頂上御霊峰への登山道「白山の3禅定道(ぜんじょうどう)」の世界文化遺産暫定リストへの登録申請書を共同で提出しました。1月下旬にはリストが発表されるようですが、例えリストに入らなくても、3県3市がスクラムを組んで”白山ブランド”をPRする意義は大きいと思います。日本名山の一つ、白山は、加賀(石川県)、美濃(岐阜県)、越前(福井県)の国境にそびえ、古くから人々の信仰を集めていましたが、養老元年(717)、泰澄が信仰の象徴として36歳の時に開山したと伝えられています。白山への登拝拠点「3馬場」(ばんば)が開かれたのは、天長9年(832)ともいわれ、3馬場のうち越前馬場の中心であったのが白山中宮の「平泉寺」(勝山市)、加賀馬場の中心が白山本営の「白山比め(しらやまひめ=めは漢字ですが楽天では使えません)神社」(白山市)、美濃馬場の中心が白山中宮の「長滝寺」(郡上市)です。3馬場とも泰澄によって開かれたと伝えられています。越前馬場の中心、平泉寺も、今から1300年ほど前、白山信仰の拠点として泰澄(たいちょう)によって開かれたと伝えられています。室町時代には広大な寺領を所有し、「四十八社三十六堂6千坊、僧兵八千坊」の隆盛を誇っていたようです。白山神社境内の南北両側に立地していた坊院跡には、整然と区割りされていた石畳の道路がみられるなど、中世の「宗教都市」の性格を備えていたともいわれ、関係者の注目を集めています。一方、泰澄は、福井県生まれで、「越の大徳」(こしのだいとこ)といわれるほど徳の高い人だったと伝えられており、今、話題となっている福井県ゆかりの継体天皇とともに、福井県の古代における偉大な人物の一人ともいわれています。ところで、福井市をはじめ同市周辺に住む人々は、白山の美しい姿に愛着を感じているのではないでしょうか。特に白く雪化粧した白山が美しい。霊峰白山は学校の校歌にも出ていて今でもその部分を口ずさむことがあります。ぜひこの機会に、世界遺産登録へ向けて県民の機運が盛り上がることを期待したいものです。