睡れる月
一日遅れの日記になってしまいますが、昨日から宝塚歌劇団雪組の福岡特別公演「睡れる月(ねむれるつき」)が初日を迎えまして、私は早速、観に行ってきました。 亡くなった愛しい人に再び会いたいという「転生」への願いがモチーフになっており、『更級日記』を書いた菅原孝標女の作と云われる、輪廻転生文学の「浜松中納言物語」の源中納言の末裔として、本作の主人公「源信御津=浜松中納言=朝海ひかる」は描かれていました。 石清水八幡宮で行われたくじ引きで将軍に選ばれた、有名な「籤引き将軍」足利義教(よしのり)の恐怖政治時代が時代背景に選ばれており、ストーリーは『嘉吉乱記』や『赤松盛衰記』などの室町軍記が下敷きになっているようでした。 ただ、私的には折角の、六代将軍義教が、祝宴の最中に討ち取られる嘉吉の乱では、首謀者の赤松満祐・ 教康の父子にもっとスポットを当てて欲しかった。 ところが、何故か登場するのは息子の「教康(のりやす)=安城志紀」のみで(義教からは親父さんこそがヒドい目にあったというのに)、それもほとんど目立たない存在でした。 そして全体を通して、作者の大野拓史氏が何を訴えたかったかは、私にはよく分からないままで終わってしまいました。 私は、4日間公演の千秋楽にもう一度観劇する予定なので、その時にはもっとストーリーを追ってみようと思っております。 ただ雪組自体は、同じ日本物ミュージカルであった、2年前のお披露目公演『春麗の淡き光に』と比較すると、バウで主力を欠いていても、全員が熱演していて、歌とお芝居も格段に進歩していたのに驚かさせれました。 それと、彼が本作の主役だと云っても異存がない人がいるくらい、扱いが大きかった「式部卿宮(しきぶきょうのみや)=貴城けい)が、特に目立っておりました。 息をつく間もなく公演が終わり、挨拶になった時、福岡沖地震のお見舞いを云おうとした組長さんが、真っ白になったのか、長い長い沈黙の時間がありまして、突然、ゴメンナサイと何度も謝ったので、会場は一気にほのぼのムードになりました。 その後、組長さんも立ち直って立派な挨拶があって、福岡の地方公演では珍しく、会場が明るくなっても拍手が鳴り止まず、カーテンが開いた時には、半数は帰ろうと立ち上がっていたものですから、全員が総立ちになっての長い長いスタンディングオペレーションが続きました。 この時の会場とステージとの一体感は凄いものがありまして、これには雪組の皆さんも感激してもらえたようで、改めて宝塚っていいなと思ったひと時でした。 それから、楽天ブログでお知り合いになった方からお薦めいただいていた、地元のミュージシャン「吉田祥吾さん」のライブにも行きまして、彼の人間愛に溢れる曲の数々を聴いて、こちらの方も大変感動しました。 彼には是非、更に有名になってもらって多くの人に聴いてもらいたいと思いました。 その後のオフ会も含めて、とても充実した1日を過ごせたので満足顔で帰宅した私でした。