49日。
明日・・・というか、もう今日ですが、父が亡くなり49日法要の日となりました。早いなあ。いまだに、実家へ行くと父が笑って待っているかのようで本当にいないことがいまだに信じられません。49日が一つの区切りだといいますよね。明日、その日が来てしまうのか。父はこの日を境に、仏になってしまうのか。父の遺影を見ていると、不思議なことに「いかないで」と思ってしまう自分がまだいます。こんなことを想っていたら、父は悲しむだろうけど。49日を迎えたら、なんだか父が離れてしまうようで悲しくて悲しくてなりません。父が亡くなってから今日まで、いろんなことを思い出していました。妊婦になって、一緒に住んだこと。毎日いろんな話をしたこと。一緒に洗濯物を畳んだこと。時々母とのケンカの間に入ったこと。タバコの事でケンカしたこと。ボウが産まれて嬉しそうに抱っこしていた日のこと。チョチョと将棋をしていつも誇らしげにしていたこと。いつもきれいに家の掃除をして「あいつ(母)はいつも掃除しないから俺がやってる」と嬉しそうに言っていたこと。亡くなって、母が見たもの。それは、家の外に置いてあったきれいに畳んであう何枚ものタオル。認知症の進んでいた父です。たぶん、目についたタオルを1日何枚も畳んだりまた使ったり干したり・・・最終的にきれいに畳んで、自分がいつもタバコを吸う納屋に積んでいたのだと思います。カレンダーにきっちりと貼ってあった、薬。飲んだことを忘れてしまうから、いつも薬をもらって来たらカレンダーに貼るように促していました。面倒くさいと言いながらも、しっかりと丁寧に貼っていました。その薬も、亡くなる翌日の分までだったので、慌てて受診して、亡くなった前日に姉が促して丁寧に貼っていました。それは、3月22日まで。月命日です。なんだかそういうことも、偶然ではない気がしていろいろ考えてしまいます。母は、私たちには見せませんがとても辛そうで冗談ぽく「なんでこんな早くいなくなったの~」とか「じいさん、どっかにいるんじゃないの~」とか言っていますがやはり、いくら口げんかしても、会話をしなくてもただそこに居たことが幸せだったと感じています。仏壇を買った時も、家に届いたときもとてもさみしそうでした。毎日一人でお経を読んでいます。「難しすぎて読めんわ~~~」と笑いながら。私が今想うのは、一緒に住んだことや、何気ない一言、いつもしないようなことがいずれくる別れの前触れだったのかなあと。思えば「ボウが俺の名前を呼ぶ日まで生きれんわ」と泣いたあの日の夜。母の事を「俺は友達少ないけど、あいつはたくさん友達居るし、幸せだよな。それが1番だ。」と笑っていた日。「みんな、子供がなかなか会いに来なくなったとかいうけど、俺はみんなしょっちゅう集まってくれて本当に感謝してる。こんな家族、なかなか居ないぞ。本当に、幸せもんだ。」と目に涙をためて語っていた日。今まで、私たち兄弟も、こんなにたくさん父と過ごした時間はなかったと思います。よく集まり、誘い、本当に笑った最後の1年でした。そう思うと、幸せだったなあと思います。私たちも。今日姉と、明日お供えする父の好きなものを買ってきました。お坊さんから「生前好きだったお菓子とかを供えてください」といわれていたので姉と二人で「こんなの食べてたよね。チョコ好きだったよね。ポテトチップスとか食べてたっけ」なんて、一生懸命選びながら父の事を思い出していました。お父さん。明日も、みんな来てくれるよ。遠くから、親戚も沢山。みんなで笑ってお父さんの話をしよう。 明日は、49日法要のほかに、仏壇の入仏も行います。 入仏は、初めて家に仏様の家が入ることで、新築を建てることと同じくらいの慶事ごとなんだそう。 49日は法要なので、まったく逆の二つの行事をいっしょに行うことになります。 自分の家を建てるとき、コツコツお金をためて本当に大切にしてきた家でした。 これからは、父の第2の新しい「家」がみんなが集まる場所になります。 新しい門出。 いつまでも悲しんでいる私たちへそうおっしゃってくれたお坊さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。