コウモリの悩み
進行管理という自分の部署の仕事の性格上、優先順位をとる立場に沿った喋り方を要求されることがよくある。電話を切った次の瞬間には違う得意先には違う言い方になっている。 私は蝙蝠さんよーん♪とわりきって桜の大紋をふりかざせばいいのだが、あんまりふりかざしつづけているとつい口にでている。 なにさまだよっ だれにいっているかというと自分にだ。人間が正直(とかいてバカとよむ)にできているのでつい口からでる。そして飲み込む。 苦い。 微々たるものとはいえカネを貰っているのだからわりきらなくてはいけないのだが、現場の話を伝えるときも、お客さんの話を伝えるときもなんでいまこんなにえらそうに喋っているのだ!とツッコミをいれる自分にやかましいと上段蹴りをいれどやしつけながらえらそうにしゃべる。小心者だ。立場や名刺・看板で迷わず会話できるやつがうらやましい。そういうやつが出世するのだ。 重松清の本で「われわれの世代は子どもに対して自信がもてない」という一節があり世代は違うにせよバランスを重視する戦後教育の結果かなあと思って読んでいたのだが、仕事をしているとそういうときがある。仕事に限らない。相談に対してこたえるときに気付けばその答えから責任を遠ざかろうとする自分がいる。相談もそうだし、励まし、ダメだし、コミュニケーション全体がそうだ。だめじゃん。 とにかく「絶対真理」(←ヘンなことばだけど。って註をつけてしまうのがもうだめ)が説けない。 バランスとはうまい言い方なだけで結局責任を回避しているのだ。 逆に責任とは「ある間違いを背負うこと」だ。自分の価値観に従ったある結論を伝え、批判を受ける覚悟のことだ。 自分が正しいことを疑うからつらいのだ。自分のは間違っている?→お、意外と正しいじゃん!と誤りを前提に発言を検証したほうがいいかもしれない。 いっそのこと信用されなければいいのか・・・ってそういう話じゃないだろ。 というわけで今日もウソをつく。(♂)