アフリカ~日本 そして彼女への想い・・・
2000年3月8日アフリカには1ヶ月くらい滞在していたのだろうか?彼女から託された猿のぬいぐるみは長い旅の雨や風や砂や人の手触りの中で色あせ、ぼろぼろになり、そのやつれた分だけの時間が過ぎ去ったことを教えてくれた。この間にすでに彼女は僕の手をはなれ、盲学校へと入学手続きをすませ、自分で自分の道を切り開こうとしている。ほんの3ヶ月前に成田で見送った別の友人は、ラオスというなれない土地で毎日泣きながら仕事をしているのだと知らされていた。そしてまたイギリスに発った友人は毎日毎日ホームシックに泣きたくなる日をあるけれど、でもがんばってるよ!とメールをくれた。逆らえない時間の流れの中で誰もみな、自分の背負った荷の重さに苦しみながら、自分で選んだ道を歩んでいる。有形無形のつらさの中で歩んでいる。その姿はたとえようもないほど美しい。だから自分もがんばらなければと心の底から思うのだ。だからこそ知らぬ間に流れた時の流れは、過ぎ去った時への回顧を催させるものではけしてなく、ただ、空白の未来への高揚を後押しさせるほどに、ナニモノカにむかって僕の背中を後押しさせるものであった。3/1にバンコクに戻り、矢も楯もたまらず日本に戻って再スタートを切りたかった。残念なことに、日本へのチケットはなかなかとれず、次の夢に向かってスタートを切りたい僕の足を止める時間ではあったが、そんな足止めの時間にこそ自分の夢を白紙に描くまたとない機会となる。バンコクの1泊700円の古ぼけたゲストハウスで僕は眠れない夜のつれづれに、日本に帰国してからの夢を思い描く。誰も訪れないゲストハウスの1室で、新たなる夢を描く。あのケニア山という夢を叶えてくすぶっていたナンユキの日々のように・・・そしてその一方で、バンコクの安宿のベッドに寝ころび彼女のことを思う。ザックにくくりつけられたぼろぼろの猿のマスコットを見つめ、彼女のことを思う。この旅の中で僕は彼女に何ができたのか?そしてこれから先の時間の中で彼女に何をしてあげられるのか?あの日奥多摩の夜に彼女に拒絶された。でも、そうせざるを得なかった彼女のの気持ちが今は痛いほどによくわかる。そしてそんな彼女のことを大切に思う気持ちは今でも何も変わっていないだからこそ・・・と僕は思う。彼女にとって負担となる「恋人」というスタンスではなく「友人」いや「親友」というスタンスで彼女のことを支えていきたいんだと。彼女に恋人として必要とされないのならば、せめて親友として必要とされたい。そう思うことにとがはないだろう。僕は窓のない部屋の昼下がりのベッドに寝ころび、もう一度猿のマスコットを握りしめる。熱帯特有の午後の空気がとたんに体中を包んで心地よい眠りに誘われる。夢の中、かつて何の身体障害もなかった数年前の彼女が現れ、言葉を交わす。まるで恋人のように・・・そして夢から覚めたときに、あらためて自分の将来への方向性を迫られる。こんな日々を何度過ごしてきたのだろう?この旅の間、何度こんな夢を見てきたのだろう?そしてそんな夢をみるたびに思う。いや、夢に迫れるように自分の未熟さをうれい、彼女に対してなすべきことを感じる、それはつまり「強くならなくちゃな!」って、心の底から感じるのである。彼女を支えられないのは自分が弱いから。だから人の弱さを支えてあげられるくらい強くなんなくちゃ!って。彼女のことを支えるよりも、今、目の前の自分がもっともっと強くなんなくちゃダメだなって今自分が彼女にしてあげられることは、「山」しかないんだから・・・自分ががんばって夢を叶えて彼女に一瞬でも勇気を与えてあげること。それが彼女にできる唯一のことなのだから。って・・・・