遠い夜明け
山の夜は次第にあけて、白々としたあかりがテントごしにさしこんでくる。沈黙が朝の喧噪へと代わり僕らお互いの心にも波紋を及ぼしている。「あたし・・・」お互いがお互いの言葉にとまどい本音と強がりの間で心が揺れている。「ごめん・・・」「あたし。やっぱりだめだよ。ごめんね。変なとこ見せて。ごめんね。あたしね。ひとりで生きていくんだから。誰とも結婚しないし、できないんだから。」彼女は今一度いつもの冷静さを取り戻して独り言のように言った。「そのせりふは前に聞いたよ。そんな君ごと受けとめたいんだ。」彼女は僕のせりふで逆に冷静さをますます取り戻したようである。「だめだめ。ごめんね。あたしのこといっぱい考えてくれて。でもだめなの。ごめんなさい」「何でいつも肝心なとこで強がるんだよ!弱い自分でいいじゃん。だめな自分でいいじゃん。いつも君が俺に言ってきたせりふだろ。俺は君の弱いところも強がりなところも全部まとめて守りたいんだよ」「ごめんなさい。あたしは大丈夫だよ。心配かけてごめんね」彼女は自分自身に言い聞かせるようにそう言った。それはまるで、つかのま弱さを見せた自分を非難するかのようだった。いったん見せた弱さをもう一度見せる勇気も、それを引き出す手管もお互いになかったのだろう。一段と明るさを増してくる山の光がこの状況を後押ししているようだった。「わかった」僕はそこでその話をきった。「わかったよ今だけ。今だけわかった。」彼女がもし僕のことを受け入れたら僕は10日後にせまった旅の予定などすべてキャンセルして、別の人生を歩むことになるのだろう。そしてその先に彼女と歩んでいく人生で様々な障害にぶつかるかもしれない。彼女の答えにはそこまで先回りして考える決意を感じた。それを感じたからその話題はもうそこできった。「その代わりさ、もしこれから先、俺をすこしでも必要だと思ったらそのときはちゃんと素直にそう言ってくれ。おれはどこからでも、文字通り地球の裏側からだって駆けつけるからさ」「うん。わかったよ。ありがとう」彼女は明るさを取り戻した表情でそう言った。「あ~そろそろ寝ようよ。すっかり眠くなっちゃった。今何時?」彼女もまた話題を変えようとする「もう6時だよ」僕もそれにしたがう。寝る時刻としては遅かったが、話の余韻を断ち切るように僕らはお互いのシュラフにもぐった。今、お互いがお互いの気持ちの中で同じことを違う視点から考えているのだろう。やがて朝が本格的にあけて、今度こそ別れの時間が訪れる一時の恋愛感情で乗り越えていくにはあまりに重い障害が、二人の間に大きく立ちはだかっている。僕はその壁を改めて強く認識しながらも、自分自身の気持ちが新たなステージにたっていることを心のどこかで感じていた。