いつも心残りにしていたというジョン・レノン
1971年にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでジョージ・ハリスンが中心となりリンゴ・スターも出演したというバングラ・デシュの難民救済コンサートが開かれたそうですがポールもジョンもさまざまな理由により参加できなかった。ジョンはそのことをいつも心残りにしていたからかどうかはわかりませんが、次の年の8月30日、同じ場所で自ら「ウイローブルックの子供たちを救うためのコンサート」というチャリティを開催した。ニューヨーク市長のジョン・リンゼイが宣言した運動の一環の催物で、ウイローブルックを訪問して深く心を動かされたABCテレビのニュース・キャスタージェラルド・リヴェラが提案者になったものだった。観客は約2万5千人でジョンとヨーコのフィルム・カンパニーがアイズリー・ブラザースなどゲスト出演したそのコンサートの模様をフィルムに収めた。ジョンとヨーコが同じステージに立った最後のコンサートだったそうです。