ジョン・レノンがアメリカで暮らすことになったきっかけ
きょうもジョン・レノンのラスト・インタビューからの話題です。最初ダコタハウスでインタビューを受けていたジョンですが、1980年12月当時ヨーコの過去の作品のリミックスとニューシングル「Walking on Thin Ice」の仕上げをしていたので、ニューヨークのウエスト44番街にあったレコード・プラント・スタジオへと場所を移しました。そこでは、またヨーコとツアーや深夜番組に出たり、ローリングストーン誌の表紙を飾るのを楽しみにしていたジョンがいました。『ダブルファンタジー』の前に出したアルバム『ロックン・ロール』ではジョンが1961年のハンブルグツアーの際に撮影された写真が使われていますが、その写真がジョンの脳裏に深く刻み込まれるようなとても大きな意味を持つこととなったようです。『ロックン・ロール』の収録が終りに近づいた時に、ジョンは「これでレコード・プラントともおさらばだ」と叫んだけれど、内心は「本当に別れを告げてもいいのだろうか?」とも思っていた。数年経ってレコーディングを止めたんだなと実感して、そのカバー写真を思い出し、かなり後になっても思い返すようになったと言います。ジョンが自分が国外で暮らすことを予言した占い師がいたことも、アメリカの入国管理局ともめている最中に思い出します。ジョンにはイギリスを離れる理由などなかったのです。それなら、どうしてジョンはアメリカに行くことになったのでしょう?そこでまた調べてみると、1971年9月にヨーコがニューヨークで個展を開いたのがきっかけのようです。結局のところ、ジョンはヨーコと知り合わなければアメリカには行くことはなかったのしれません。https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33538/7/1/1https://hiroshigeartdairy.blogspot.com/2015/05/yoko-ono-one-woman-show.htmlhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)