ニックネームは王者の証!?
北京オリンピック、日本選手の活躍に一喜一憂する毎日を送っています。 毎日、TVや新聞で確認していますが、フェンシングなど普段ほとんど見ない競技でもメダルを獲得したとなると、とたんに興味をそそられてしまうミーハーな私です(笑)で、気になったのが北島康介選手です。前回のアテネに続き2大会連続2冠達成の偉業。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ共に金メダル。これは凄いぞ。・・・凄いのですが、もっと気になったのが中国でつけられたニックネーム。 蛙王カエルの王様ですか(笑)確かに平泳ぎはカエル泳ぎに似ているかも知れませんが・・・オリンピックでは、色んなニックネームやあだ名がつけられますよね。で、他にはないのか探してみました。中国でも人気の福原愛選手は『陶器のお人形さん』という意味の 『磁娃娃』(ツゥワーワー)と呼ばれているそう。お人形みたいなかわいい顔をしているからなのでしょうか。でも勝負にかける執念は凄いぞ。頑張ってもらいたいです。ところが、それ以外のニックネームは見当たりませんでした。残念。もしご存知でしたら教えて下さい(笑)で、代わりにといっては何ですが、過去の有名なニックネームを思い出してみました。(なぜかクイズ形式になっちゃいました 太字をクリックすると誰か分かります)『暁の超特急』 1932年ロサンゼルス大会で、東洋人初の100m6位入賞。『東洋の魔女』 1964年東京大会の華ですね。女子バレー金メダル。 大松監督の『俺についてこい!』も有名ですね。『日の丸飛行隊』 1972年札幌大会(冬季オリンピック)ジャンプ競技金銀銅独占。『平成の三四郎』 1992年バルセロナ大会柔道金メダル。その姿に涙しました。『YAWARAちゃん』 この方を知らない人はいないでしょう。柔道のあの方です。『Qちゃん』 2000年シドニー女子マラソン金メダル。あの走りは凄かった。『褐色の弾丸』 1936年ベルリン大会100m、走り幅跳び、200m、 4×400mリレー金メダル。4冠達成の偉業。『人間機関車』 1948年ロンドン大会10000m、1952年ヘルシンキ大会5000m・ 10000m・マラソンの金メダリスト。『裸足の英雄』 1960年ローマ大会、1964年東京大会共にマラソン金メダルの凄い人。 ローマ大会では裸足で42.195kmを走り抜けました。 東京大会ではその姿から『走る哲人』とも。『東京の恋人』 こちらも東京大会から。女子体操金メダリスト。『銀盤の妖精』 1972年札幌大会。尻もちをついても笑顔で銅メダル。『ルーマニアの白い妖精』 1976年モントリオール大会、体操でなんと10点満点。 ビートたけしのモノマネの方もかなり有名(笑)『ウクライナの鳥人』 その名が雑誌のタイトルになるほど有名な方でしたね。 1988年ソウル大会棒高跳び金メダリスト。ま、こんなもんしか出てきませんでしたので、こっちもご存じの方は教えてください。(こ~いうの好きなんです 笑)蛇足・・・『フジヤマのトビウオ』という有名なニックネームを持つ人物がいます。古橋広之進。過去、日本オリンピック委員会会長をされていた方です。戦後間もない1947年の日本選手権では、400m自由形の世界新記録を樹立します。ところが、当時の日本は占領下にある敗戦国。翌1948年のロンドンオリンピックには参加すらさせてもらえませんでした。そんな中、ロンドンオリンピック決勝戦の日に合わせ、日本でも競技会が開催されました。 そこで古橋はオリンピックレコードを上回るタイムでゴールします。残念ながら当時の日本は国際水泳連盟から除外されていたため、公式記録とはなりませんでしたが・・・ 翌1949年。ようやく日本は国際水泳連盟に復帰します。そしてその年に古橋は全米選手権に招待されます。そこで400m自由形、800m自由形、1500m自由形全てで世界新記録を達成します。 『フジヤマのトビウオ』これはその時にアメリカで名付けられたものでした。敗戦で打ちひしがられていた日本国民は、この報に溜飲を下げたといいます。しかし、選手のピークは長くは続かないもの。次のオリンピックとなった1952年ヘルシンキオリンピックには参加出来たものの、残念ながら400m自由形で失意の8位に終わってしまいました。そこで、未だに語られるのが当時のNHKアナウンサーによる涙まじりの実況放送。 『日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。 古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。 古橋に有難うを言ってあげて下さい。』次のオリンピックは2012年ロンドンです。ここでは三度目の開催となります。しかし日本が初めて参加するロンドンオリンピックです。『平成のフジヤマのトビウオ』は現れるのでしょうか?? 期待しましょう~ (気が早いのね)