我が家の娘、中学入試真只中!
昨日、今日そして明日は、我が家の長女Hは、中学入試。昨日は、N学園、今日はF学院、そして明日はH中学と3日間連続の年明け早々の”我が家大イベント”である。娘を受験させようと決めたのは、昨年の3月、6年生になる直前であった。家内が「英語サークル」で一緒の人(その人は子育てとしては先輩なのだが)に相談したら、「今からでは遅い、少なくとも5年生になった時からでなくては」‥と、一笑に付されたと、憤慨していたのだが、1年間やるっきゃない。地元校区の公立中学は、評判は決して良いとは言えない。長男は行かせているが、長女には行かせないというのは、どうなんだ、矛盾していないかとも言えるのだが‥。しかし女の子の教育環境としては「公立は心配」というのが、偽らざる家内の実感でもあった。私も3月の早生まれで体のいつまでも小さい娘は子供っぽく、それでいて最近の反抗期っぽい無邪気さが失せつつある様子にやきもきであり、ならば一生の友人関係の環境設定は私学の雰囲気かもしれないと、賛成したのである。受験するからにはと、家内はこの1年、娘と一緒に勉強を楽しみ?ハッパをかけての叱咤激励という時間経過でもあった。4月から、ご多分に漏れず、塾通いをさせた。幸い、小人数で、丁寧な指導をしてくれる同じマンションに住む方が主催している「Mセミナー」があり、行き届いた指導をいただいている。そこで学ぶ14,5人ほどの女の子の仲間たちがよいグループになったようで、いい刺激を受け、競争相手というより、戦友?になっているようである。最もうちの娘の成績では、「彼女たちの敵にはならないと相手におもわせているキライはあり」と思うのだが。真ん中、ヒョットするとビリの点数を取る科目もあって、父親としては内心穏やかではないこともあった。だが、家内は「私はオクテだったから、H(娘の名)もそうなのよ」と意に介さず、ゆっくり、少しずつで日々を経過してきた。最近は、真ん中よりは上になり、名前が張り出されてもいるらしく、合格圏内の学校も見えているという段階で、とうとう入試の日を迎えてしまったのである。さて、娘、試験の前夜は9時前には就寝したという。わたしは新年から札幌へ1泊2日で出張し、6日夜10時半の帰宅時は、すっかり寝入っていた。家内によると、床に入って10分後に覗いたら、もうスースー寝入っていたという。受験から来る精神的な圧迫感や、興奮は、わが娘に関しては全く無かったようである。朝、6時半に起した時も、ほとんど平常、まだ眠たげで動作ものんびりで緊張感も見せない。そんな娘をせきたてる感じで、私が車を運転し、家内が付き添ってN学園に向けて7時15分には家を出た。試験は9時開始なのだが、8時に集合がかかっている。それは、セミナー仲間が集合し、指導の先生から、直前の「檄」を受けるのだという。会場に向かう何組かの母娘が、N学園への道筋に沿って歩いていて、何処が入り口かなと車を回している私はようやく見当が付く。入り口正門前周辺は、市内の幾つかの有名塾が旗を持って、さながらトラベルツアー集合の趣きだ。知っている顔を見つけた家内が、「ここで」と言って、家内と長女を降ろし、私は一度家に戻り、試験の終了する12時半にまた迎えにいった。さて、私がもう一度迎えに行き家に戻って来てからの家内、早速“問題用紙”をチェック。「大事よ、といった漢字や、社会の問題が出てるわ、図星よ」と、妙な感激をしている。10題しかない漢字のうちの2題は、わざわざこれは要注意と、直前に娘に指摘したものがでているという。社会の問題も、憲法、環境問題、など一緒に学んでいたのが出題され、「ホラ京都議定書がでてる」と、したり顔で満足のようである。当の娘は、もう終わった問題には一向に興味を持たず、何を訊ねても返事に気が乗らない。「ウーン、マアできたよ。難しくは無かったよ。」とのたもう!私がチェックしてみた苦手なはずの算数も、ほぼできている気もする。持ち帰った問題用紙の片隅に、自分で「合格」とご丁寧にイラスト風に文字を大きく描き込んでいる野を発見し、「コリャわが娘は意外に“オオモノかもしれない!”と、家内と顔を見合わせたのであった。受験2日目の今朝は、近くに住む一緒に受験の母親仲間と相談し、我が家からは電車とバスでは1時間ほどのF学院には、タクシーで乗り合って7時ジャストに出かけていった。今日は、私は、終了後に迎えの車を出すことを要請され、家にいる今、この日記を書いているのである。明日の3日目まで、もう一日、何とか無事にそしてよい結果をと祈るmusamejiである。