我が家では、ニワトリを飼っていたことがある、子供時代の話。
今、宮崎県で、トリインフルエンザが3箇所で発生し、東国原知事も就任そうそう、大変だ。子供の頃我が家では、ニワトリを庭の一隅に小屋を設け飼っていた。東京の世田谷だったが、常時10羽くらいはいた。毎日産み落とされた玉子を取りに、トリ小屋へ入るのは、子供の僕の仕事だった。1950年代初め、昭和25,6年のころの話だ。当時ニワトリは、貴重な蛋白源玉子は、栄養源で、モミを入れた紙箱のなかにおさめて入院見舞いになどに持参したほどだ。ニワトリの餌つくりもやった。大根の菜っ葉を細切れにして、米糠をまぶし、だしをとった後の煮干など混ぜ、水を加えてかき混ぜて出来上がり。トリ小屋中に5,60cm位の長い、底が三角形の餌箱があって、バケツで運び、それを入れていく。円い、トリの飲み口む部分が、受け皿のように飛び出て、必要な量だけ水が出るという独特の容器もあったなあ。トリ小屋に、アワビの貝殻をいくつかぶら下げていた。夜、貝の内側が光るので、イタチ避けといっていたが、ホントにイタチがいたのかは分からない。ただトリが襲われて、朝見ると羽が散乱していた記憶はある。白色レグホンが多かったが、チャボも時々いた。僕は、3歳くらいの頃、飼っているニワトリに額をつっつかれて、後年もしばらくその傷あとが残っていたことがある。大きなオンドリのトサカとクチバシが迫ってきたことだけは、今でもありありと目に焼きついている。泣き声を聞き付けた祖母がすぐに駆けつけ救いだしてくれたがその憎っくきオンドリは、その日のうちに絞められて、夜の食卓に乗ったらしい。僕らの子供の頃は、鶏肉というのはあまり好物ではなかった。家で飼っているトリを絞めて、肉をとるということもあったが、その肉は、決して今のようにやわらかくはなく美味いものではなかったと思うのだ。子供の頃のことはいくらでもきりなく、思い出す。こんなことでも、書いておかないとどんどん忘れて風化しちゃうんだなあ。宮崎の、トリインフルエンザが、最小被害で終結することを祈らずにおれない。