おめでとう。
本当は他人様をネタにして日記を書くことはいい趣味とはいえないかもしれないのだが、今日はどうしてもそうしたい。本人に「勝手にしないで下さい」と怒られるかもしれないが、引き合いに出していいか聞くには時差の関係で今はムリ。なので後でお叱りがあったら退散しようと思う。ここの日記で知り合ったよっこさんが昨日の日記で、コツコツ勉強してこられた放送大学の卒業が決まったことを書かれていた。読んだ瞬間、マジで涙があふれてきた。5年間、勉強されたそうだ。5年というのはご本人にとっては当初の目論見通りだったそうだが、この5年間は私たちの年代にとっては非常に重いものだということの想像が私にはつく。いわゆるフルタイムの学生の身分の中で4年、5年、6年勉強することと、一旦社会に出てから、仕事やそれにまつわる社会の枠組みを優先しながら勉強することとは意味が違う。挫折も多いことだろう。自分で決心して始めたことだからこそ、そこに得られる他人の評価なんて、少々は力づけられても所詮は他人事で終わってしまう場合も多い。「えらいねー、私にはできひんわ」という一発感想を述べて終わる人もきっと周りに多いことだろうと思うし、私自身、その一人だ。この言葉を言う人の後ろには「何もそんな、今さらねじり鉢巻でそんなことせんでも」という気持ちもあるかもしれないが、私が今よっこさんに思う「えらいねー、私にはできひんわ」という気持ちは本当に自分にはできないと思う文字通りの気持ちと、よっこさんをこの数年知って感じる「よっこさんだからできたこと」という畏敬の念がない交ぜになったものだ。今の全部の大学生が全部そうだとは言わないが「とりあえずまだ社会には出たくない」「4年間、適当に遊びたい」「今のところ何をしていいかわからない」「いずれ就職するなら、高卒より大卒のほうがよさそう」という発想は、それでも今なお主流のモラトリアム感覚として続いているように感じる。大学でなくても、例えばイギリスに語学留学に来る人たちと時々接点を持つと「日本は合わないけど、海外ならいけそう」という、確たる根拠のないオアシス探しの幻想も感じる。そういう中で、私がよっこさんの今回の快挙にひどく心打たれたのは、正直言うと、私も「勉強は学校を卒業してから」という意識があるほうの一人だからだとは思う。社会人になってから初めて訪れたフランスのベルサイユ宮殿を見て、もう一回、世界史の本を読んでみたくなる。今の仕事を始めてから、仕事で使うルール・・・クライアントが会員に課している規約など・・・と、実際に起こりうるいろいろなパターンとの組み合わせや運用・解釈を一つずつ具に見ていくうちに、ひょっとすると裁判での憲法や法律の解釈と運用は、こんなふうに事例との対応で考えていくものかもしれないと思うと、これから法学部でそういう勉強をしたらどうなるだろうと思う。こうして海外に住んでいると、言葉の違いそのものでなくて、その根っこにある文化や社会を見たくなって、比較言語学とか言語社会学にも目が向いてくる。小学校から中学・高校・大学と「それはそういうふうに進むものであるから」という尺度ではない自分の取り組みは一生続くものなのだと思う。これは、こういう勉強だけに限らない。料理でもいいし、フラワーアレンジメントでもいいし、書道でも手芸でも、音楽でも構わないと思う。「自分のライフワークはこれです」「一生、自分のペースでやっていきたいことがあります」と思えるものを持つ人生とそうでない人生では、きっと死ぬ瞬間に抱く後悔の重さがまったく違うのではないだろうか。この5年間、自分が決めた目標のために努力しながらも、生活の中でコスメや洋服や小物に敏感であったり、周りの人たちとの関係をことごとく大事に考えたり、そういう人たちのためによかれと思って気働きができたりするバランス感覚が見えて、人間として非常に豊かな人だという印象にあふれているのが、私が思うところのよっこさんだ。先日、私がダラダラ過ごしてしまった後で受けた2回の試験。その試験の日の朝、私がPCをつけると、2回ともよっこさんから励ましのメールが届いていた。私が何の試験を受ける、というようなことは(恥ずかしくて)説明もせずにうやむやにしていたのに、彼女にはそれが何だったのかは最初からわかっていたに違いない。がんばっている彼女に比べると「次行こ、次っ」なんて勝手に問題を先送りにしていることがひどく恥ずかしく思われたが、ともかく今回の結果は(まだだけど)甘受し、次の機会には恥じないようにしたい。昨夜、この間のオリンピックで金メダルを取った荒川さんのエキシビションの演技をやっと見ることができた。先日も書いたところだが、荒川さんの演技の後ろに流れる「You raise me up」を聴きながらよっこさんのことを考えていた。You raise me up, so I can stand on mountains; You raise me up, to walk on stormy seas; I am strong, when I am on your shoulders; You raise me up: To more than I can beよっこさん、おめでとう。