父の入院
知らせのメールが届いていたのは、昨日の2時過ぎだっただろうか?それを知ったのは、4時前に次の仕事へ向かうときだった。父は、肺炎になり特養から病院へ入院したと言う。27日の日曜日に父を訪ねた時は、少し鼻水をたらしてはいたが元気そうだった。驚くよりも、どうしてなんだろう?と思ってしまった。痴呆の進んだ彼は、肺炎と言う状況の訳もわかるはずがない。点滴の針を痛がって、勝手に抜いてしまったり、とにかく手こずっているようだった。食事の時と、10時と夕方6時の点滴の時は付き添うが必要ということで姉が、8時の朝食時に。私が10時の点滴とお昼に。義姉が夕方という事でひとまず落ち着き今日を迎えた。介護の必要な老人がいる場合、一人の負担とならないよう皆でシェアするのが長続きの秘訣だ。10時に行けばよいとゆっくりしていると姉から電話で「靴がない!それでとても不機嫌だから、とにかく靴を持って来て欲しい。とにかく早く来て!」「よく捜してみた?」しばらくして「ベッドのお布団の中にあった。」姉は、一人で父の施設を訪問したこともなく、まして家に居たときにも日常の世話をしたこともない。だから、考えもつかない行動をする父にすっかり参っているようだった。でも、父はこういう病気でこれが現実なのだ。よくなることは決してない。9時過ぎに病院へ到着。父は、うろうろしたそうだった。姉はなだめ疲れたようだった。 何を言っているのか、まず分からないことで苛立ちを隠せないようだ。「何言ってるか分かる?」と私に聞く。「想像で返事しとく。それで、いいと思う。」と答えた。朝食は、袋入りのバターロールで、袋を破るのも手助けが要ったそうだ。そのパンも全部は食べずに落としてしまい、私が行ったときには空腹のため朝食を食べたことも忘れていた。そこへ婦長さんがやって来て、睡眠薬が全く効かず、夜眠らず徘徊し、ナース室の書類 を触ったり、他の病室へ行ったり昨夜大変だったことを伝えた。そして、家族に24時間付き添って欲しいと。私たちにはそれは、出来ない。数値的には問題があるが、担当医の許可を貰い施設へ戻してもいいかと。痴呆の人は、暮らしている状況の変化について行けない。特養の施設に慣れた父もそちらの生活を望んでいると言うかそちらの世界に戻りたいようだった。10時の点滴は、おとなしく無事に済み、睡眠もとりすっかり元気になっていた。体温も平熱。2時前に施設の方が迎えに来てくれた。そして父は機嫌よく車椅子に乗って施設へと帰っていった。姉も母もとても疲れきっていた。批判ばかりしている姉は、実際に係わって大変さを分かってくれただろうか?私は、姉に「みんなで順番に係われて良かったね。」と言っていた。ほぼ1日半のこの入院、どんな意味があるんだろう??私が父の潜在意識に何かを働きかけたのだろうか??