診療所の窓口から  ̄ある医師の悪夢 ̄ 原稿
某NPO機関紙向け、連載原稿9月分。時には、こういう内容の作品を。-----------------------「ピー、ピー」。ベルトにつけたポケベル型の“ドクター・コール”が鳴り出した。あわてて音を止める。今はエレベータの中。六階を通り過ぎたところだ。パジャマ姿で点滴を持っている患者さんの邪魔にならないよう、身を左に右によじりながら手を伸ばした。七階のボタンをカチッカチッと数回押す。早くならないことは、よくわかっているが、気持ちが焦って仕方ない。なぜなら、この呼び出しには、病院にいる限り、1分以内で内線電話に出なくてはいけない、というルールがあるからだ。短気な上司の場合、50秒をすぎたところで切ってしまい、後で「遅い」と叱られることもある。早足で降りると、壁にかかる受話器を取る。「3階の内科です。急ぎ、処方箋に印をお願いします」。本当は8階に行くところだったが。下りのエレベータには満員の表示。覚悟を決めて非常口のドアに向かう。窓の無い狭い空間は、上下する医療関係者でいっぱいだ。何人かの同期とすれ違うが、互いに急いでおり、「やあ」「また」程度の挨拶しかできない。病院の非常階段は、白衣の裾(すそ)が翻(ひるがえ)っているのだ。途中でまたコールが鳴る。急いで4階のドアから出て、走って電話まで向かう。なんと、他の医師が使っている! 階段を駆け下り、3階の電話に飛びつく。「まもなく10階でカンファレンスがはじまります」。しまった。資料を別館の医局の机に置いてきてしまった。ナースステーションで処方箋に印を押すと同時に走りだす。2階の渡り廊下を別館へダッシュ。エレベータを待っていられない。非常口に入る。6階まで一気に駆け上がり、廊下の奥の医局に飛び込んで資料をつかむ。息があがる。酸欠で目がかすむ。さあ、本館に戻ろう。時間がない。本館の8階まで上がり、10階まで。……診療時間の合間にうたたねをしていた医師はパッと目覚めた。誰にも見られていなかったか確認する。研修医時代のこの夢には、いつもぞっとさせられる。