イタイイタイ!ギックリ腰
2004年5月5日 (水) ムハハのハ2004年GW 先日、わが人生で合計三度目になる「ギックリ腰」になった。ボクの事をご存知でない方が圧倒的に多いと思われるので、過去の二回に関して簡単に状況説明を・・・ 一度目は五年程前の夏になると思うが、仕事中に床に落としたメモを拾おうとしてかがんだら体が動かなくなってしまった。「ん?ナンダナンダどうしちゃったんだ?」立ち上がろうにも立ち上がれず足を動かそうにも動かない。誰かがボクの事を押さえつけているのか?それとも、寝てもいないのに「金縛り」にでもあったのか?訳が分からなかった。しばらくかがんだままで体を観察したがどこにも変化が無い。壁に手を着き立ち上がろうとしたら、この世の痛みとは思えないほどの激痛が腰を中心に走る。「クゥゥー痛い」立ち上がれないのだ。仕事仲間に助けてもらい台車に椅子を載せその上に座らせてもらい医者に連れてってもらった。整形外科の看護婦は「色んな患者さんが来ますが、台車に乗って来院される患者さんは初めてです」と何だかウレシソウに言った。四人に抱えられ診察室に運ばれ横になると先生に「痛かったら痛いと言ってくださいね」と言われた。ソーッと触りますからね・・・とってもイヤな感じがする。ボクは咄嗟に歯医者のことを思い出していた。「チョットチクーッとしますよ」と言いつつも、それはチョットどころではなく「一杯」であり痛かったら手を上げてくださいね、と言いつつも痛くて手を上げたところでマスク越しのくぐもった声で「ごめんなさいねぇ」と言うだけで決して手を休めない。仰向けに寝ているボクの脚を持ち上げた。「イタッイテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテ」ボクは話し方がスローな方だが、こんなに早口で発音出来る自分に驚いてしまった。何度か早口発音を言わされた後に「ギックリ腰」です。との診断が下された。安静にして下さい。と言いコルセットを貰って終了。台車に乗り会社に戻り車に乗り換えて最寄の駅まで送ってもらったが痛みが激しくどうにもならない。駅前でタクシーをつかまえて帰ろうと思っていたが断念。で,電車で帰る事にした。必死のパッチで額に脂汗を流しつつ電車に乗るも、腰掛けたら一人で立ち上がれないのは分かりきっていたので扉横の手すりにしがみ付いていたが、ガタンガタンと電車が揺れる度に激痛が走り腰が砕ける。人間、ツイていないときというのは何をやってもダメなものでボクはこの夏風邪にかかっていてた。「ハァークショイタッイテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテ」床に崩れ落ちた。それまでボクの事を何だか怪しい人がいると見ていた周りの乗客らが急変、助けに来てくれた。席を譲ってくれるというのだが立ち上がれないのでこのまま床の上でいいです。「八王子駅で降りますので、その時には申し訳ありませんが手助けしてください」数名の乗客に助けてもらい降車した。家までの道のりを考えると気を失いそうになる。電車の乗換へで階段の昇降が二回、目指す鴨居駅までの乗車時間、鴨居駅から自宅までの普通なら五分かからないほどの距離。小一時間の間クシャミを我慢出来るだろうか?八王子駅で駅員が使う竹箒があったので杖代わりに無断拝借し竹箒片手に次なる横浜線に向かった。横浜線の中では初めから床に腰を下ろし竹箒で体を支へ、うめき声を出さないようにする為ハンカチを咥えた。「予測できる事態には対応し、予測できない事態は予測しろ」戦争映画か宇宙史映画で聞いた言葉を思い出し、Aもやった。Bもやった。Cもやった。今のボクのこの態勢が最善の方策なのだ、後は「クシャミ」に対し臆する事無く戦うだけだ。鴨居駅に着くまで幾度となく「クシャミ」に泣かされたが失神する事無く無事着いた。この記念すべき第一回目の「ギックリ腰」は二週間ほど会社を休んだ。二回目は、第一回目から二年ほど経った同じく春である。出勤途中鴨居駅でクシャミをしたら「ギックリ腰」になってしまい、そのまま帰宅。全治一週間。この時はスキーでコブ斜面の練習中に腰を痛めていた事も起因している。そして、今回ですね。GWの真っ只中4/30仕事中にやってしまった。20kg程の商品を持ち上げたときにグギリとなり翌日から動けなくなってしまった。そうしてボクはGWに部屋から動けずにじっとしている。TVでは民族大移動行楽帰りの高速道路の大渋滞をニュースで流している。太平洋側では大雨と強風との予報である。ムハハのハ、大雨と強風の中ずーーーっと渋滞していなさい。この先三年でも五年でもズーーットズーーーーーット渋滞していればいいのだ。ボクは腰がイタイ。 友人の『右脳開発・フラッシュ暗算』目からウロコよん♪そろあん へジャンプ新・ねこ的生活へジャンプ