八甲田山(プロローグ)
2013年の11月、初冬を迎えた八甲田山は例年になく暖かだった。死の彷徨といわれたその場所に立って、BJは、思いのほかワクワクしていた。枯葉を撒き散らして、枝ばかりになった雑木林が、彼の今日の立会人だ。今から思えば10年前に書きつけたことばが、BJのいのちの継続を今日限りでお仕舞にしてしまうことになる。ことばの力をまざまざと体感させられた10年間だった。ピリオドを打つ。こんな考えになぜ惹かれたんだろう。彼は10年前を思い起こそうとした。社会的には、日本の人口が減少へ転じるちょっと前のことだ。年金問題が盛んに議論されていた。60歳でピリオドを打つ。年金に依存しない。そのために彼は死を選択した。あまりにも短絡的だと思うか。年金に依存しない生き方。彼は社会に甘えることに自らの判断で区切りを付けたかったんだ。なぜならば、生まれてからずっと彼は、両親や学校、会社に依存し更には甘えてきたからだ。いや彼は甘えることを決して否定しているわけじゃないんだ。むしろ彼は自らすすんで周囲に甘えてきたといえるかもしれない。彼は、未熟なまま生まれる赤ん坊が、周囲の大人や社会を進化させてきたというネオテニー理論を信奉していた。アンチエイジイングとも違う。いつまでも若さを保つなんていう利己的ともいえる考えとは全く違う。むしろ人類の全体最適化に貢献する。全く次元の違う考え方。幼形成熟。幼いこどものこころを純粋に維持したまま、そのまま成熟していくということだ。それは周囲に甘える行為の徹底化として表現される。その行為によって周囲の人々は愛を喚起させられる。更には社会システムにまで変更を要求させられる。人類の潜在的な能力は、まだまだ無限大まで拡大させられる。という進化論の一種だ。(つづく)