どの家にも苦しみが、誰の人生にも大変なことが・・・
私たちは辛いことに出会ったとき、つい自分だけが苦しいと思い勝ち。でもそんなことはありません。 娘は、私たちの家としては少し身分不相応な高校、大学に行きました。ブランドものが本当の意味で使われている家庭がけっこうあったのです。成金趣味ではありません。娘はうらやましかったようです。しかし、よく聞いてみると、どこの家でも悩みを抱えてました。父親が家をでているとか、お姉さんが社会にでることは無理とか。 英語ではこのような状態を「どこの家の押入れにも骸骨がある」と表現するそうです。娘は人をうらやむことをしなくなりました。 酒乱の父をもつ友人は、恥ずかしくて父親の話ができませんでした。しかし、どこの父もけっこう暴力的だったりするのを知って「なんだ、自分の家だけじゃないんだ」と安心したそうです。生きていればどこの家庭だって悩みはあります。 うつの私たちも、ブログで出あって、「あ、辛いのは自分だけじゃない」と救われます。仕事への復帰も、それぞれ苦しんでいるな、と共感。不眠もかなりの方が苦しんで、それなりに対処しているのを見てほっとするでしょう。まるで、「うつを病む友の会」という感じですね。 苦しいともがくことも、悲しいと泣くこともとても大事なこと、そして病気を受け入れて生きていくうちに、やがて春が訪れます。 7,8と尾瀬に行ってきました。すばらしかったです。やはり病み上がりの方がいらして、病気をして人生観が変わったそうです。私も変わりました。遠慮しないで、自分のやりたいことをやるようになりました。明日はどうなるか分からない人生。いまある生を一杯生きようと思うのです。