まぐろの言葉
盲導犬クイールの一生がついに文庫になってました。私は、本を読む量が半端ないので、ハードカバーはなかなか買えません。だから、 盲導犬クイールの一生もやっと手にいれました。そういえば、クイールの訓練士の多和田さんが、インタビューで、訓練センターに来た盲導犬候補生に、「盲導犬になる?」って尋ねてみるって言ってましたね。すごく当たり前に、多和田さんは、その質問をして、「ぼく、ちょっと。。。」とか、「なりたい!」とか、そういうワンコの返事を受け取っているんですね。訓練の最中も、決して大きい声で叱らないそうです。ワンコは、訓練士さんの言葉を聞こうとがんばってるからだそうです。犬と会話はできる。何度も書いて来ましたが、おやぶんはそう信じています。もしも、犬が私たちに語りかけて来ているとしたら、それを聞く態勢を獲得せず、ただやみくもに犬の行動をいたずらと判断して叱るというのは、どうでしょう。また、吠えたり、ひっかいたりして何かを語りかけている犬に対して、犬の言葉を聞き取ろうと努力せず、無視するというのは、どうでしょう。自分だったら。。。?必死で伝えようとして、叱られたり無視されたりしたら、とても哀しい。おやぶんとまぐろの関係がうまく行きはじめたのは、しつけ本の放棄からだったというお話は、何度も書いてきました。それにともなって、おやぶんは、まぐろの言葉を理解しようとしはじめました。犬だって聞いて欲しいのだと思います。ある程度まぐろがおやぶんの言葉を聞こうと努力してくれるようになって、「留守番、お願いね」と言って家を開けたときのまぐろの反応と、しつけ本の通り、そっと出ていった時のまぐろの反応は明らかに違いました。しかも劇的に違いました。まぐろが何か訴えようとしていると感じた時は、「どうしたの?」とか「何?」と聞くようにしています。まぐろが聞いてくれるのだからおやぶんも聞こう。そんな、人間同士なら当たり前のことです。犬と人間がパートナーとして暮らしはじめて、もう気が遠くなる程の時間が過ぎました。その間、犬は、人間とコミュニケーションをとろうと努力してくれたのではないでしょうか。そろそろ、人間も、犬と同種族同士に近いようなコミュニケーションをとろうと、努力してもよいのでは?犬と人間同士のように話ができるようになれば、きっと、犬が、他の動物との架け橋になってくれるような気がします。