そして反省
数週間前からガッツが、あやセンセのお宅でモンテソーリ式の日本語クラスを始めています。 彼、日本語をある程度聴くことはできるし、「言って」と促せば日本語を話してくれますが、基本的に英語オンリーに偏りつつあります。 日本語の語彙が圧倒的に少ないからしょうがないんですけれど。ちょこちょこ日本に連れて帰って、気長に日本語を摺りこんでいけばいいかーと思っていたのが、今回の地震、津波、放射線被害の後では、子供への影響を考えると、それも容易ではなくなったわけなので、海の困り度が一気に上がったようでした。つい、ガッツの日本語に関して、四面楚歌な気分になっていたようです。それはさておき、件の日本語クラスではあやセンセのお子さんを含め、他の子供たちも日本語がかなり出てくるので、一緒にいるところを観察していると、ガッツのみが英語ばかりを話している状態です。みんな英語もわかるわけだから、しっかり意思疎通しちゃってるのがオカシイんですが、うーん、せっかく日本語のオベンキョしてるのに、英語ばっかりじゃだめじゃん!と、海。それはガッツへのだめじゃん!じゃなくて、海自身へのだめじゃん!なんですな。 だって、ガッツに英語で話しかけてるの海だし。 土曜日のクラスが終わった後、しばらくは海が日本語を話すのをがんばるのですが、いつのまにやらまた英語になっちゃっていることに気づきます。ガッツに英語で話しかけられると、自然と英語で返事してますしね。いかんいかん! 他の子達に遅れをとるな~!という、競争心かしら?とふと思いついて、そんなんで「日本語日本語!」って言われても、ガッツも嫌だよなと、そこは重要な点?と自分に問いかければ、いえいえ、そんなこともなく。 他の子達はみんなガールズなので、言葉が早いのは不思議じゃないんですよね。それよりももっと重要な位置をしめているのは、「海がガッツに日本語を教えられない、伝えられない」という点だったようで。うーむ。 自分を観察していて、気づいたことがいくつかありました。まず、日本語を話すときにある種の抵抗感があります。日本人のある種の人々と話すとき、猫なで声で人と接しているのが氣味悪かったり(読んで字のごとく、実際の「氣の味覚」として)、不安感、焦り、イライラ感が伝わってくるのが嫌で、自分がわざとぶっきらぼうな言い方をしていることにも気づきました。それから、日本語を話さなくちゃと思うこと自体がストレスです。 先週末だったかな、2~3日なんだかイライラとしていて、話す日本語がすべて最後に「っ」がつくような勢いのある語気な上、ガッツのちょっとしたことにすぐに腹を立て、ぐわー!っとがなるような声になっていることが多くありました。 あれ? 何で・・・? ふと気づき、自分の内部を見つめてみると・・・。 海にとって日本語は、「愚痴をいう言語」「怒鳴る言語」「人に意見を言いづらい言語」「感情をごまかす言語」という刷り込みがあったみたいです。 子供の頃の親や祖母のやりとりや、若かりし日の自分の言葉遣いや、自分の周囲によくいた人たちの話の内容の傾向や・・・。 一番大きいのは、子供の頃のことでしょうね。パパりんがよく怒鳴る人で、怒鳴る男は弱い人間だ・・・と、いつか考察していたこをとすっかり忘れて、自分が怒鳴るようになっていてはお笑い種です。怒鳴っているときの声って、氣がぐわっとぶつかるような錯覚があるんですけれど、その実ものすごくザラザラしていて、サンドペーパーみたいな触感があるんですよね。そして削られているのが実際には、自分自身だというオチ。ボリュームの如何もさることながら、「サンドペーパーな感覚」が、周囲にさらなる不快感を与えるんだなぁと、変なことを考えつつ、自分の中の「日本語感」が出尽くしたところで、すーっと氣持ちが穏やかになって、ガッツにもすっかり落ち着いて優しい口調で話せるようになりました。だれだってガミガミや、怒鳴りつけられるのは嫌なことなわけですから、当然といえば当然なんですが、落ち着いた話し方の日本語だと、ガッツもすごく嬉しそうに海の言うことに反応し、普通にやりとりが出来るようになります。 そういう時は子供にしっかりと向き合うことも容易になるので、いろいろなことを一緒にしたり、ダメ出しをするときもすんなりと「うん」と言ってくれるので、より一層物事がスムーズです。 そんなこんなで気持ちの良い数日を過ごしていたのに、さっき上げた日記の後、眠気もピークに達したガッツの理不尽な行動に、また大声で怒鳴るハメに・・・。orz... 少ししてからちゃんと謝ったけれど、ガッツにだってそれなりの理由があるんだよね。 辛抱たらんのだよ、海! ええ、ええ、そうでしょうとも・・・。orz....誰かに褒められて有頂天になってるから、自分にばっかり目が向いているから、、とたんに子どもが悲鳴をあげるんだよ・・・。 そういえば、この前、チェアマッサージ会社の上司(2歳児のいるシングルマザー)と話をしてたときにもそんな話になったんだ。長い話を端折れば、こう言えるかな。『外で認められると、子供にしわよせが行く』会社で能力を認められるのはとても嬉しいことで、励みににもなることなんだけれど、それは必ずしも子供が必要とすることではないのね。 会社での顔、おうちでの顔、セラピストとしての海、ガッツのママとしての海、それぞれ別ものであり一つであり。 お面をぱっぱと付け替えている感じかね。忙しすぎたら、付けるお面を間違えたりすることもありそうだよね・・・。そうならないように氣をつけよう・・・ ということで、海の新たな目標。1) 穏やかで気持ちの良い日本語をガッツに話し続ける。2) 働くときとガッツといるときと、それぞれ愛と感謝と極め細やかさを120%だす。3) ガッツとたくさん笑う。 お客さんともたくさん笑う。4) お面の付け替え(笑)も丁寧に、氣持ちを込めて。 さー、明日からまた、おだやかに日本語で話せます(ように)!